家族との距離と社会の厳しさ —大学生後半・新社会人
ちょっと長い自己紹介の今までのお話→目次①前回のお話 → 自由と罪悪感 —大学2年生家族から離れて見えたもの大学2~3年の頃、私は一人暮らしで、親元を離れて自由気ままな日々を過ごしていました。その間、弟に関する出来事がありましたが、私は家を離れていたこともあり、父からの事後報告で知ることになりました。→前回のブログ弟のことはどこか遠くの出来事のように感じられ、両親と弟の「家族3人だけの問題」とされているような空気に、私は“除け者”にされたような寂しさを覚えました。家族の中での自分の立ち位置が曖昧になり、心の距離を再認識しながら、いつしか「公務員になる」という目標も、私の中で風化していきました。法律系の科目にも嫌気がさし、学びへの意欲も薄れていったのです。就職活動と、理想と現実のはざまで大学3年生の頃、メディアでは「ライブドア」などのIT系・ベンチャー企業が華々しく報じられていて、私にはとても魅力的に映りました。父からは「なぜ法学部に進んだのにIT系に?」と疑問を投げかけられましたが、私はIT企業への就職を決めました。もちろん、他の業界も何社か受けたり、公務員試験にも挑戦しましたが、最初に内定をもらった企業に決め、大学4年の1年間はその会社の内定者研修(UNIXなど技術系)に参加していました。社会人としてのスタートは、約400人の社員のうち、100人が同期というものでした。この数字がどういうものか就職活動時は考えもしなかったです。新人でも経験がなくても現場に放り込まれ、OJTという名のもとに、ほぼ教育体制のないまま実践投入されていきました。「経験者を名乗れ」という指示を受けて、この会社に違和感を持ち始めました。HSS型HSPとしての葛藤私はHSS型HSPです。第一印象や外交的な振る舞いができてしまいます。最初の配属は営業部。新卒の同期は私を含めて3人。他は役員やベテラン社員、そして2人の2年目の先輩方。私たち同期3人は、自分たちで都内のIT系企業をリスト化し、片っ端から電話営業をしていました。1か月後、同期の1人が退職。これを受けてなのか、私ともう一人の同期は、営業部から異動となりました。異動した先は技術系の部署で、ヘルプデスクで電話をとりながら、ネットワーク資格のインストラクターを目指して勉強をしていました。「キャリアウーマン」としてバリバリ働く理想像を胸に、振られた仕事はキャパを超えていても「できます!」と引き受けて。終電までに終わらせればいい、という考えで残業を重ね、家に仕事を持ち帰り、資格の勉強もして、睡眠やプライベートの時間を削って働き続けました。そして、就職してから1年半。限界が訪れました。次回のお話 → 動けなくなった朝と、言葉にならない母の優しさちょっと長い自己紹介の今までのお話→目次①