ざらざらした感覚と選択の基準
ちょっと長い自己紹介の目次→目次①、目次②前回のお話 → 心の動きと「修行」としての時間ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーざらざらした感覚と選択の基準私にとって「仕事」はずっと「苦行」であり、「お金をもらうには苦しまなければならない」と思い込んで生きてきました。小中学校でも、嫌なことほど「やらなきゃ」と自分を押し込んできました。運動や委員会、部活など、砂を嚙んだようなざらざらした感覚を基準に選択していたのです。会社員としての仕事はそのざらざらの象徴。占いの館は、少しだけマシな感覚。ただそ の先に、自分が本当にやりたいことが見えていたからこそ、そのための土台を作るんだと1年間やりきることができました。今振り返ると、「本当の本当はどれがいいの?」と、学生や会社員時代の自分にそっと問いかけてあげたくなります。でもその当時は、ざらざらの方に行かないと、「ズルい!」「遊んでいる!」「そんな楽しちゃだめ!」と心の声に怒られてしまい、そっちの選択以外に行く道はありませんでした。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーちょっと長い自己紹介の目次→目次①、目次②ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー