前回のお話 → 心の動きと「修行」としての時間
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ざらざらした感覚と選択の基準
私にとって「仕事」はずっと「苦行」であり、
「お金をもらうには苦しまなければならない」と思い込んで生きてきました。
小中学校でも、嫌なことほど「やらなきゃ」と自分を押し込んできました。
運動や委員会、部活など、
砂を嚙んだようなざらざらした感覚を基準に選択していたのです。
会社員としての仕事はそのざらざらの象徴。
占いの館は、少しだけマシな感覚。
ただその先に、自分が本当にやりたいことが見えていたからこそ、
そのための土台を作るんだと1年間やりきることができました。
今振り返ると、「本当の本当はどれがいいの?」と、
学生や会社員時代の自分にそっと問いかけてあげたくなります。
でもその当時は、ざらざらの方に行かないと、
「ズルい!」「遊んでいる!」「そんな楽しちゃだめ!」と
心の声に怒られてしまい、
そっちの選択以外に行く道はありませんでした。
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