私の想い51(近代オリンピックについて思う事) | 晴れ 時々うつ

晴れ 時々うつ

静岡県浜松市在住
55歳の女性、獅子座O型
うつ病歴20年
小4からYMOの大ファン
相棒シリーズが大好きです
80年代の洋楽を聴く事と
録画したテレビを観る事
映画を観る事
愛車でドライブする事 が
趣味です

私は

「オリンピックは平和の祭典」

「オリンピックはスポーツの祭典」

「オリンピックは参加する事に意義が有る」

この言葉の意味を考えてしまいます

 

オリンピック出場選手に

選ばれた事だけでも

素晴らしくて、誇らしい事なのに

どうして

メダルを取る事に、執着してしまい

特に金メダルで無ければと

考えるのでしょうか?

 

オリンピックでメダル個数に

こだわる事はいつから始まって

しまったのでしょうか?

 

2020東京オリンピックが開催されて

テレビのニュースなどで
メダルの個数について
盛り上がっていますが

オリンピックはメダルの獲得数を
競う場ではないと思います

大会期間中にテレビや

新聞を見ていると

「日本はこれで金メダル◯個、
銀メダル◯個、銅メダル◯個獲得です」

「◯◯国は今はメダル◯個でトップ
日本は□個で現在□位です。」

などという報道をよく目にします

 

しかも金・銀・銅が

それぞれ何個なのか?と言う
詳しい内訳の解説付きです

 

そういう報道を見る度に
メダルの数を合計して

そして比べて
一体何の意味が有るのか?

と疑問に思います

 

オリンピックは平和の祭典で有り
メダルは選手個々人の栄光の証です

多種多様な競技に打ち込んでいる

アスリート達が
日々の厳しい鍛錬の末に得たメダル

 

それを単純に足し合わせて

「メダル合計◯個」の様に
扱うのはおかしいです

 

オリンピックは国と国が
競争をする場では有りません

個々のアスリート達が競う場です

それなのに

メダル獲得数の話になると、
国同士の争いという事に

されてしまいます

競技ごとに選手の姿をきちんと見れば
色々な面白いエピソードも有り
国対国という印象は受けません

 

メダルのひとつひとつは
個々の個人やチームの関係性の

中から生まれ
そこにはいつも感動が有ります

 

でもメダルの総個数という話になると
そういったドラマは完全に

消えてしまいます

 

選手達の姿は見えなくなって
「国」同士の争いとなるのです

 

オリンピックメダルの価値には
大きなバラツキがあるという点も

おかしいです

 

メダルはどれも1個として数えて
合計個数を出していますが
同じ1個でも、その重みは違う様に
思えるのです

人気や注目度が高い競技のメダルと
マイナーな競技のメダルでは
価値が違うのが大きな理由です

 

更にもうひとつは
メダルの価値にバラツキが有る事です
その理由は、選手の数です

 

以上の理由から
オリンピックでメダル個数に

こだわるのはおかしいと
私は考えます

皆さんももうメダル合計個数に

こだわるのは止めませんか?

 

YOUTUBEの動画ですが

最近のオリンピックは環境問題も

含めないといけないみたいです