私の親父はいつも貧乏だったが、何でも出来る器用な人だった。
俗に言う“器用貧乏”そのままだ。
学歴は尋常小学校卒だ。
それもほとんど弟や妹の子守で、常におんぶしながら野良仕事だったらしい。
小学校卒業と同時に、時計屋に丁稚奉公に出される。
7人兄弟・姉妹の次男だ。
そこで、時計の修理技術を学んだ。
学んだと言うより教え込まれたと言った方があたっていると思う。
年季が明けて独立となったらしいがお金など全くない。
働いていた時計屋がくれた時計の修理道具を持って旅に出た。
流しの時計修理屋である。
こんな仕事で食っていけるはずもない。
それでもかばんを持って旅に出る。
放浪の旅も田舎の駅にたどり着いた時にはほぼ無一文で野宿となる。
そんな姿を見て物置小屋を貸してくれた人がいた。
やっと寝床が見つかった。
でも、無一文には変わりがない。
近くに川が流れていたそうだ。
拾ってきた釜に川の水を汲んできてお湯を沸かしての生活が続く。
農家を回り時計の修理がないか聞くが運が悪かった。
少し前に、同じ様に時計の修理と言いながら持ち逃げした奴がいたそうだ。
どこに言っても注文は来ない。
可哀想にと世話をしてくれた人がいた。
ありがたいことにご飯を食べさせてくれた。
仕事も紹介してくれた。
そこに体を壊して嫁に行きそびれた娘がいた。
年は同じ年だ。
いつしかその娘と結婚することになる。
29歳になっていた。
コツコツやれば何とかなる。
新婚生活は例の物置小屋である。
多少の小銭が貯まりだした。
子供も2人に成った。
新天地を求めて少し大きな隣町に移る。
そんな親父も60歳でがんに罹患した。
未だ飛行機にも乗ったことがない。
1年後には亡くなったが、闘病生活の中で書いた詩がある。
われかかった 物置小屋で
星をながめて 夜をあかす
可愛い子供の ね顔をみれば
がんこおやじが 涙をぬぐふ
何時まで続く 三畳一間
おせち料理に 紅葉手を
たたいて喜ぶ この子等に
こんな苦労は させまじと
握るこぶしに 血がにじむ
愛しい妻(ひと)も すすり泣く
三畳一間が 我が家でも
世間の土俵は どでかいぞ
負けてなるかよ この勝負
負けたらこの子等に笑われる
愛しい妻(ひと)が 力水
お陰様で、今日、愛しい妻は東京見物に行く。
とりあえず物置小屋で育った息子と共に。
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