4日目のYOUR EYES ONLY→

当初、本当に限られた人数だけに、病気を打ち明けた。

親族だったり、親しい友人、仕事関係だったり…そういう方々だ。

看護師さんから聞いていて、予測はしていたけれど…

病気を聞いた人から、「がん」と ひとくくりにされて、
間違った治療法(ほとんどが乳がんには関係ない)をおすすめされたり
「どうして胸を切り取るの?そんなのやめなよ」…と、
病院を変えるように(闇雲に)言われた。

周囲の気持ちは、よ~~~~~~~~く分かる

びっくりしてしまうし、私のために「何かしたい」と
思ってくれての事だ。

けれども、患者としては昨日・今日の決断ではなく、
医師から説明をうけ、数ヶ月かけて悩み、勉強し、
調べ、もがきながら出した結論だったりする。

“善かれと思って”の行為だから…と思いつつ、
そういう電話やメールがあるたびに、
半泣きになって、納得してもらうために説明をしていた。

そのたびに、深く傷ついた。

相手に、一から病状を説明すればするほど、
自分が乳がんであると、何度もリピートするわけだから。


そういう対処を繰り返しているうちに、
「いかに、乳がんをみんなが知らないか」ということがわかり、

「全部、公にするには用意周到に行わねば」
色々な作戦を考えた。

まず、私が自分の精神状態を守るために決めたこと。

・手術日を言わない
・病院を教えない
・入院したことも悟られないようにする
・退院したら、パーティーをし、親しい人に
 まとめて説明をする(ブログなどで拡散してもらう)


「何をするか」を決めたら、自分がブレなくなり、
色々なことも、受け流せるようになった。

実際、4/4に病気を公表したら、
さらに、治療法や病院紹介のメールは増えたけど
それに対して、何とも思わなくなっていた。

そして退院し、このパーティーをした。
photo:01

当日の様子は、こんな感じです→

では、病気のひとに「何かしたい」と思ったら?

私が一番、ありがたかった言葉は
「何でもいいから、香衣ちゃんの、して欲しい事を言ってね」
という言葉。

「何でもいいから、望む事を言って」と言われることで、
いま、自分に何が必要かとかを考えるし、
『こんなこと、お願いしていいのかなぁ』という気持ちが
少し軽くなって、小さな事でも頼めて助かった。

病気は、周囲にとってもつらいこと。

お互いが「良かった」と思えるようにいられるのって
難しいなーと思った日々でした。