当時の我が家は

リビングの掛け時計が落ちてガラスが飛び散り

食器が棚の中で接触して僅か数枚にひびが入った程度で

電気もガスも水道も止まる事無く

被害は無いっちゃあ無かった。

 

私は幼稚園の役員代表をやっていた関係上

あちらこちらから

「今日は幼稚園休みですか?」

と携帯に電話が入り

「私にもまだ連絡はありません」

と返事をする。

 

間もなく幼稚園から電話が入り

「連絡があればこちらから連絡をするので、

各自で幼稚園に連絡はしないで」

と言われ至急連絡網を回す。

 

被害が大きかった所にお住いの先生が数人居た為

当然出勤などして来れないので

園児お迎えのバスが運行出来ない上に

もちろん徒歩通園をされても保育が出来ないからだ。

 

連絡網を回しても

ひっきりなしに電話が掛かってくる。

 

何度もうちに遊びに来た事があるママ友から電話があり

「かづさんちのリビングから○○山が見えるやろ?

その上に赤く見えるのが神戸の火やで!」

と言われて急いてリビングから外を見る。

 

遠くに見える○○山の山頂付近を覆うように

空が濃いオレンジ色に染まっていた。

 

 

その後

私の母親は小学校での避難生活が始まり

父親は倒壊したビルや家屋の救助や救援などに走り回った。

 

ご近所の知り合いの息子さんが

神戸で一人暮らしをしていたアパートの下敷きになって亡くなった話や

神戸に住む娘夫婦の家が大きく揺れた際にタンスが倒れ

たまたまタンスの前に寝かせていた孫だけが押し潰されて亡くなった話などが耳に入る。

 

あれから29年経ち

あの時幼稚園だった息子も34歳になりました。

幼稚園生だった為か

震災の記憶はそれほど多くは残っていないと思われます。

(被災していないから尚の事)

 

阪神・淡路大震災以降も

地震だけでなく災害が数多く起きている中

各自で日頃から考える大事さを思います。

 

うちの近所でさえ

「あんな地震は100年に1度やから

私ら生きてるうちにはあらへんから大丈夫」

と、全く防災意識の無い方は実在しますので。

 

元日の地震で被害にあわれた皆様に

一日も早く心休まる日が迎えられますように。

 

ではでは

 

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