震災を振り返ってと言うか

ココ阪神淡路大震災も含めて

全く教訓が活かされていない事に

驚きを隠せなかった事が一番大きい。


物貰いじゃ無いっつーのに

とにかく何でも送ってやりゃあ喜ぶだろうと

ミソも糞も一緒くたの様な

支援物資と言う名のゴミ箱化する荷物を送る奴や

一切被災していないからこそ冷静に情報を精査出来る立場のはずなのに

ソース元を確認もせず

迂闊に何でも記事にして拡散を希望しちゃうブロガーもいたりで

まーなんつーか

『イイ事だと思ってやった事なんだから罪はない』

なんて思ってる事からして

当事者意識が無いよね。


あくまでも傍観者なんだって事よ。


あの当時の記事を読み返してみると

(とりあえず)閲覧数の多いブログだからこそ

デマや思い込みで書いちゃいけないと言う責任感を持っていた訳で

実際に情報を求めてネット検索している現地の被災している方が

残り少ない携帯の電池残量で

たどり着いた情報がデマでしたなんて

それこそ当事者意識が有れば

どれほど残酷な事をしたのかが解る筈だ。


通常の状態じゃないからこそ

通常の記事のノリと同じ様な

『デマに騙されちゃったー!』

では済まないんだと言う認識が欠けているブロガーが

あまりにも多かった事に

本当に驚いた。



ましてや

ここアメブロでも

ランキング上位の方の中にも

『拡散希望』の情報を鵜呑みにし

何の調べもせずに記事にし

デマと知るや記事を削除して

自分も騙されちゃったのよ系の記事を書いて

被害者の仲間入りの気分だろうが

十分お前もデマ流しに一枚噛んじゃってたんだよって

そんなバカを曝した奴が居た訳で。



自分が被災状況でないからこそ

落ち着いて考えられる訳だし

物も満ち足りている状況だからこそ

精査する時間も環境も有る訳で

そこで

『何かをしてやりたい!!』

と言う気持ちだけが優先してしまうのではなく

『今何が必要なのか!』

を優先する事こそが

現地では一番の有益な事になるのだ。



災害が起きた直後は『緊急支援』が必要な訳で

その後に『復興支援』が必要になってくる。



ライフラインも止まり

現地への足もルートも無い状況で

無選別の荷物を持ち込んだり送り付けて来たり

また勝手に呼びかけてみたりなんて

ぶっちゃけ

頭は生きてるうちに使えよボケナス!って話しだ。


私がそんな記事を書いた頃に

偶然にもテレビ画面には

きらびやかにラッピングされたプレゼントを

持ち込んでるババ様の映像が流れてて

『コレはダメだと言われました…』

と納得いかん系の顔つきで帰っていくテレビ画面を見て

『こんなババが迷惑やねんて…』

と呟いちゃったもん。



100人分200人分なら解るが

クリスマスのプレゼントじゃあるまいに

被災地や避難所の子供達は何人居ると思う??

それを誰に渡せと??


デマを拡散した者にしても

結局は自分の自己満足が優先しているとしか言い様が無く

何かしてやりたい

何かしてやった!

イイ事して満足♪

で完結している訳で

その行為の中には

『正確性』だの『責任』だのは全く無く

指摘されても

『知らなかった!
 悪気は無い!
 しょーがない!』


となる訳で

『無知は罪』だと主張している私なんで

むしろバカは黙っとけよと

バカは黙っとく方が助かるんだよと

本当に当時は思ったもんだった。



まぁ

震災後数日間の自分の記事を読み返し

あの時にあらゆる手段で問い合わせたり(当然現地ではない)

検索しては調べ上げ

情報を整理して記事にしていたのを思い出し

今だからこそ当時の自分を客観視してみて

がんばってんな私

ってチョット思っちゃったよ。



テレビで毎日の様に進まぬ復興が流れていて

何も出来ない無力感にさいなまれている方も居ると思うが

当時も記事にした様に

ちゃんと経済を回す事も『経済支援』なんですから

日々お買い物に行って経済を回したり

お子さんのいらっしゃるご家庭なら

子育てに頑張る事で

将来この国を担う優秀な人材を育てる事で

立派な貢献をしている訳なんで

それぞれがそれぞれの中で

出来る事や必要とされている事を

よく考えて頑張る事こそが

被災地のみならず

この国の為であり

世界の為であり

子供達の為になると私は思う訳です。




今年の年賀状にも書いたけど

執念深く思慮深く

って大事な事だと思うわさ。