犬山城 | 華月洞からのたより

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ひとこと多い華月(かげつ)のこだわり

(6月末の旅行)

 

国宝 犬山城 (愛知県犬山市)

 

江戸時代初期までに建造された12基の現存天守のうち

最も古いとされています。

 

天文6年(1537)、織田信康(信長の叔父)が木之下城より

この地に城郭を移したのが犬山城の始まりです。

当時はまだ「天守閣」の概念はありませんでしたので、ここには櫓

(やぐら)があったと思われます。 天守創建の時期は諸説あります。

元和3年(1617)尾張藩の重臣・成瀬正成がこの城を受領した頃には、現在の姿に近いものだったと考えられています。

 

 

(写真はパンフレットより)

木曽川を挟んで岐阜県側からの眺め。美しいです。

木曽川は現在も愛知県と岐阜県の県境いですが、戦国時代も

尾張と美濃の境でした。

 

信長は美濃攻略の足掛かりとして、永禄8年(1565)この城を攻略します。天正9年には信長四男・勝長(信房)が犬山城主となって

いますが、彼は翌年「本能寺の変」の折り、

信長嫡男・信忠とともに自刃しました。

 

勝長(信房)のことを考えると、しんみりしてしまうのですが、

このお城好きなんですよ。6年ぶりかな?2度目の登城。

上の写真でいうと、対岸のお城の背後にある犬山駅から

お城を目指しました。徒歩20分ほどです。

 

 

読みにくいですが「犬山城」と彫ってあります。

 

 

 

来ました来ました、この傾斜。このカーブ。

お城っぽいです。侵入者をすでに拒んでますね。

 

 

 

 

 

別名「白帝城」
高さ19ⅿ、三重四階(外から見ると三重、中は4階)
地下(石垣の中)二階です。

 

 

 

入口で靴を入れるビニール袋を渡されます。土足厳禁。

靴をずーっともったまま見学します。

このお城には両手あけて入ったほうがいいです。絶対。

靴で片方の手はふさがります。

 

 

入口は地下2階(地上であっても石垣の中は地下と表現される)

いきなり目の前の階段を上がっていきます。

階段の傾斜角度は45℃以上で、しかも1段が高い。一方通行厳守。

華月、本気出して登ります。来た来た。実はこの階段が好き。

 

(どなたかの美しいおみ足が映ってしまった。申し訳ない。)

清々しい戦国設定の角度。容赦ない。えげつない。

 

ハシゴじゃないだけ有り難く思え、みたいな。

 

 

 

1階、明るい良い感じのテラス風・・・

 

侵入者があれば、ここからがんがん石落してました。

 

 

ぐるりと回廊(武者走り)に囲まれた中央に、

城主が天守に入ったときの御座所、「上段の間」。

 

 

 

 

「小牧山合戦着用 鎧」遠藤氏。レプリカじゃありません。本物。

天正12年(1584)秀吉VS家康・織田信雄連合軍の

「小牧・長久手の戦い」でしょうか。夜見たくないです。

 
 

3階、唐破風(からはふ)。優美に湾曲した屋根の内側。

 

 

階段は階を上がるごとに急になり、手すりは簡略化されていきます。

最上階(4階)への階段は、手すりが最後の段と水平レベルまでしか

ないので、上階の床に手をついてよじ登ります。

 

 

 

 
最上階、外に出て見ましょう!
 
膝上くらいまでの高さしかない手すりに、この幅狭い床。
雨ざらしで年季の入った木の質感がいい感じすぎて、
一瞬ひるみます。
すれ違うのは難しいので一方通行です。
 

 

強風の日は外に出られませんが、この日は風もなくOK。

 

 

 

 
西に木曽川を挟んで伊木山。 絶景です。
 
 
北西・中央に見える三角の山の頂点部分にご注目、
その後ろの山にあるかすかな突起が岐阜城だそうです。
 
時は流れて住宅地が広がっていても、この距離感は変わりません。
 
 
犬山城観光のトップシーズンは木曽川のほとりの桜が満開になる
春です。 伺った梅雨時は観光客が少ない分、自分時間で

ゆっくり見ることができました。

 

 

最上階に案内の方がいらっしゃって「あそこが小牧山、あれが猿啄城」と、指をさしながら教えてくださいました。

戦国時代は、ちょっとした山の頂上ほとんどに、城(ある程度の人数が入れる砦)があったんですね。

 
 
「ああ、こう見えたんだ~」と、興味深く絶景を楽しみました。