華月洞からのたより

華月洞からのたより

ひとこと多い華月(かげつ)のこだわり

大河ドラマ「光る君へ」 第34話 目覚め

 

寛弘3年(1006)7月 

南都(奈良)興福寺の別当・定澄(じょうちょう)が僧を率いて土御門邸の道長を訪れ、興福寺に狼藉を働いている大和守源頼親の国守解任を陣定(じんのさだめ)に提議するよう直訴する。それが成らねば土御門邸を焼き払い奉ると脅す定澄に道長は「やってみよ。そもそも藤原氏の菩提寺がなぜ私を脅迫するのだ。」と呆れるが陣定にかけることは約束する。

 

翌朝、公卿を集めた陣定で、道長が「源頼親と興福寺は所領をめぐって武力で対立し、僧ひとりが命を落とした。興福寺は報復として頼親の家来・当麻為頼(たいまのためより)の屋敷と田畑を焼き払った。この件で興福寺と頼親双方から朝廷に処分を求める訴状が届いておる」・・・と、説明している最中、大極殿の前庭に武器を持った僧たちが押し寄せてきた。

道長はただちに検非違使によって僧たちを排除する旨を帝に奏上し、許可される。

中宮大夫の藤原斉信は藤壺に行き、中宮様を奥にお隠し申し上げよ、と女房たちに命ずるが「お隠し・・・と申しますのは」と、誰もどう動いてよいのかわからない。まひろが「清涼殿にお渡りになったらいかがでしょう。帝のお側におられれば・・・」と提案すると斉信もそれを勧め、中宮彰子は帝の御座所へと向かう。

御座所でうつむいて固まる彰子に帝は声を掛ける。「彰子、顔をあげよ。そなたは朕の中宮である。こういう時こそ胸を張っておらねばならぬ。」

 

僧たちは検非違使によって排除されたが、定澄はまた道長邸に出向き訴えを並べる。道長はきっぱりと返答するが、内心これは長引きそうだと困惑する。

 

・・・まひろの書き続けている物語は次々と写本が作られ、殿上人や女房たちのあいだで評判である。公任は屋敷で妻の敏子に読み聞かせしているし、斉信は通っている女とのピロートークにと、全方位に広まり話題になっていた。(読んでいたのは「空蝉」の箇所か?)

 

・・・疲れた様子の道長がまひろの局を訪ねてくる。「帝と中宮様はいかにおわす」と問われたまひろは、「中宮様のお心が帝にお開きにならないと前には進めぬと存じます。あまりお急ぎになるのはどうか、と。」と答えるが「急ぐも何も定子様が亡くなられてもう6年だ。中宮様が不憫でならぬ。」と道長はため息をつく。「おまえが頼みだ。」

女房たちは「左大臣様は藤式部と親しげにお話されていらしたけど、まさかお二人は・・・ないわよねー(笑)」「えーでも結構・・・(笑)」と噂する。

 

ある日、帝がまひろを訪れ「なぜあの物語を書き始めたのか」と問う。まひろは左大臣様から物語を書いてほしいと頼まれたこと、皇后定子を失われた帝のお悲しみをおなぐさめしたいと書き始めたのだと答える。「そなたの物語は朕の心にまっすぐに入ってくる。・・・また来る。」立ち去る帝に低頭しながら(私ではなく中宮様をお訪ねください)とまひろは思うのだった。

 

帝は伊周(これちか)の嫡男・道雅を蔵人に任じる。関白道隆の孫であり家柄は申し分ないが道雅はまだ16歳、道長はすかさずまひろの弟・惟規も蔵人に推挙する。帝は中関白家が再び勢いを持つことを望んでおられると感じた伊周は、道雅に「この機を活かせ」と言うが「私は父上の復讐の道具にはなりません」と切り替えされる。

 

蔵人に推挙された惟規がまひろの局を訪ねてきた。「えー、思ったより狭いね-」「左大臣様の御推挙なのだから、左大臣様のお顔をつぶさないようにしてよ」まひろの言葉に「わかってるよー」といいながら「おれ、神の斎垣(いがき)も超えちゃうかも」と、身分違いの思い人がいることをまひろにほのめかす・・・そこに突然中宮彰子が現われる。「ご用でしたら出向きますのに」と戸惑うまひろに人払いした中宮は「物語の何が面白いのかわからぬ。帝がどこに惹かれておいでなのかも、光る君が何をしたいのかもわからぬ。」と、心底困ったようにまひろに打ち明ける。

 

その頃、都では火事が続いた。中宮大夫・斉信の屋敷が全焼、次に道綱(道長の異母兄)の屋敷が焼けた。

興福寺の僧たちを押し返した日以来、何か不吉なことばかり起こる、と人々は噂した。

 

寛弘4年(1007)3月

・・・道長は中宮彰子を迎え、曲水(ごくすい)の宴を開く。

御簾の向こうから宴の開かれている庭先を見つめる彰子とまひろ。・・・突然、雨が降ってきた。道長は客人たちを御殿へと導き、まひろは中宮付き女房として雨に濡れた客人たちに布を差し出す。

「あの物語を書いておるのはそなたか。なぜ光る君を源氏としたのだ?」源俊賢(としかた・明子の兄)はまひろに問う。「皇子ですと動きにくうございますので」「私は父・高明を思った」という俊賢に、まひろは「どなたを思い浮かべられるのもお読みくださる方のお心のままでございます。」と満足気に答える。「光る君は俺かと思った」斉信の言葉に一瞬座は静まり、笑いが起きる。行成は「光る君は道長様ではありませんね。道長様は笛もお吹きになれませぬし。」と言うと、道長は「いや、俺だって少しは吹ける。すこし・・・。」また笑いが起きる。その様子を彰子は御簾越しに見つめていた。

雨が上がり、宴が再開された。

「さっき父上が心からお笑いになるのを見てびっくりした。」彰子はまひろに話しかける。「殿御は皆、可愛いものでございます。」「・・・帝も?」「帝も人の子であらせられます。帝のお顔をしっかりご覧になられてお話し申し上げなされたら、よろしいかと存じます。」まひろが彰子におだやかに寄り添う様子を、道長は見つめていた。

 

・・・敦康親王が病になり、彰子は手ずから看病する。伊周が見舞いに来て書物を献上するが、敦康親王は「いらぬ」と拒絶する。そこに偶然、道長が顔を出すと、敦康親王は床から出て駆け寄っていく。伊周は親王をすっかり手懐けた道長に憎悪を募らせる。

 

・・・まひろは藤壺で道長から贈られた扇を手に、物語を考えていた。(小鳥を追っていった先で出会ったあの人。あの幼い日から大好きなあの人とずっとずっと一緒に生きていられたら、いったいどんな人生だったろう・・・。)まひろは筆をとる。『雀の子を犬君(いぬき)が逃がしつる・・・』

 

相次ぐ火事、親王の病、いまだ懐妊の兆しさえない中宮彰子・・・世の安寧と中宮の懐妊を祈願するため、道長は吉野の金奉山・御嶽詣に出る決意をする。100日の潔斎を経て都を徒歩で発つ道長、頼通(道長嫡男)、源俊賢の一行を、伊周の配下の者が物陰から見つめていた。

 

 

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興福寺の僧たちの不穏な動きから始まったこの回、画的にはお坊さんのデモ。

道長の対応は堂々として、政治家らしくなったわー。朝廷は怨霊を鎮め、呪詛をはねのけるだけではやっていけない時代が、やがて訪れる。

 

(石山寺本堂の紫式部先生。

だんだんこういうカンジになってきた。)

 

まひろの書く「物語」が流行していく様子が生き生きと描かれた。前回だったか帝は「桐壺帝は朕か。光る君は敦康か」と問うたし、彰子は光る君を「帝みたい」という。源俊賢は父・高明のようだと思い、斉信は「光る君はオレ」。

・・・エゴサみたいな秘かに見ずにはおれない興味も、「これは私だ」という自意識過剰の美化も、「これってXXさんじゃない?」という意地悪な面白さも、読み手次第。

次から次へと登場する人物を思うまま感じ取り、自己投影もできるのだから、これが不定期連載中となれば続きが読みたくなるというもの。

 

「美しく賢く笛の名手」という光る君の設定は気に入った彰子ちゃんだったが「物語の面白さがわからない」と作者に直訴(笑)。大真面目に困っている様子が可愛らしい。12歳で入内して御殿の奥でひっそりと暮らしてきた女の子に、いきなり「源氏物語」は、そりゃーハードル高すぎってもんだわ。

可愛い敦康親王と仲良く過ごしている時には、笑顔も出るしおしゃべりもする。道長に懐いている親王が、後のことを考えると哀れ。

 

惟規くんの今週の直球発言「(局は)思ったより狭いね-」。「神の斎垣も越えぬべき」って、あなたサブローの文、読んだわね(苦笑)。

 

まひろは『若紫』の帖の案を練り、筆をとる。『若紫』は古文の教科書にも抜粋されていてお馴染みだけれど、幼い女の子のこれほど可愛らしい描写があるだろうか。

 

『光る君へ』ではまひろと道長の出会いのエピソードに重ねられて、二人だけが共有する二度と戻ることのない「あの日」への思いが切ない。

 

 

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今週のMVPは藤原斉信(金田 哲:かなださとし)殿

F4(フジワラフォー)のひとり。「長徳の変」では道長に伊周、隆家のことをちょっと盛って報告したり、抜け目なく上を目指して、中宮大夫、従二位まで出世。オレ仕事してる感満載でイキっているが女房たちの評判は「斉信さまって威張りたがるのよねー」と、今イチ。

 

順調だったのに今回屋敷が全焼してしまうという悲運に見舞われた(*史実)。翌朝の内裏で、柱にもたれかかり完全に魂の抜けた様子、というか抜けっぷりがもう・・・(笑)。

時が経って曲水の宴では通常運転に戻っていてよかった(笑)。