栃木県:日光がどうして世界的な観光地“NIKKO”になったのか | 趣味悠遊・古代を訪ねて

栃木県:日光がどうして世界的な観光地“NIKKO”になったのか


日光がどうして世界的な観光地“NIKKO”になったのか、街歩きの達人「ブラタモり、日光東照宮」NHKで紹介された。平日にも関わらず盛況な日光東照宮、「爆○○」といえば中国観光客、ここでもその混雑が激しい。明治末期から西欧人が愛した「中禅寺湖」などの奥日光に足を伸ばす。
霊峰・二荒山(男体山)を御神体山と仰ぐ美しい山容は、古くから人々の信仰の対象であった。奈良時代に勝
道上人が日光開山をきわめてから、仏教と山岳信仰が結びつき一大霊場となった。その社である「日光二荒山神社・中宮祠」の宝物館を拝観する。男体山頂(標高2486m)の祭祀遺跡出土品は古代山岳信仰の原点を物語るものである。この遺跡は大正13年に発掘調査が行われていたが、昭和34年に斎藤忠 博士らにより再調査され、奈良時代より江戸時代にわたる多彩な種類と3000点にのぼる莫大な数量の遺物が出土した。写真ように鏡鑑・銅印・密教法具・経筒・古銭・土器・磁器など山岳信仰に関わる報賽品が展示されている。宗像の海の正倉院に対して山の正倉院と対比する人もいるが、私には分からない。更に同神社に奉納された皇室ゆかりの刀剣類や日本一の太刀(南北朝時代・称々切丸)はまさに関東武者の王者の風格を象徴するものだ。

混雑する明智平や華厳の滝・竜頭の滝を避けて、この辺りまで来れば中国客の騒々しさから逃れる。しかしこの高原はまだ桜が早い、だが春の息吹は十分に感じる。
大正時代末頃には中禅寺湖畔にイタリア・イギリス外国大使館別荘や多くの外国人別荘が40を超えるほど建ち並び、最盛期には国際的避暑地として名声が高かったという。中禅寺湖と男体山はヨーロッパの風景を思い 起こすようだ。時にはヨットレースも行われていたという。その面影が残る湖畔の西六番園地を散策する。長崎のグラバー邸を建てたトーマス・グラバーも中禅寺湖畔で別荘を建て、当時の国際的外交の場でもあった。
ブラタモリでも触れていたが、日光を世界に紹介したのは日本をくまなく旅したイギリス女性冒険家イザベラ・バード氏(写真)である。国内でもほとんど脚光をあびていなかった男 体山や中禅寺湖など奥日光を紹介したことに始まる。当時女人禁制の湯本温泉も彼女が入浴したことが記録されている。その老舗湯で浸りながら、山岳信仰の聖地と西洋式リゾート開拓を思う。高原を降りて名物の「百年ライスカレー」を食する。そのホテルが前述のイザベラ・バードが泊まり、「日本奥地紀行」を著作し、NIKKOを取り上げという歴史的な趣 がある武家屋敷(図・イザベラ・バードのスケッチ)も残されている。

贅沢はせずとも自宅から気軽に行ける日帰り温泉を兼ねて、歴史を思い起こす一コマの散策であります。