長野県:大塚先生と行く・信州の積石塚古墳群① | 趣味悠遊・古代を訪ねて

長野県:大塚先生と行く・信州の積石塚古墳群①


今回は明治大学名誉教授・大塚初重先生と
「信州の積石塚古墳を巡る旅」である。信州を訪れた時はまさに桃源郷の里を思わせるアンズとモモの花が、更には今が盛りと桜が満開で、その遠望には北アルプスの展望が素晴らしかった。

我々が今年、大塚先生から学んでいる「考古学が探る古代日本の馬と船の文化」(明治大学リバティアカデミー)と午年に因んだテーマで、1回2時間×12回、馬文化に関してのロングラン講義、大学院の専門講座でもこれだけ充実した内容はないのではないか。それに関連して、大塚先生が若かりし主任教授の頃、考古学の情熱を傾けた大室古墳群(長野市松代町)の積石塚古墳、合掌形石室と馬の文化の現場を見ることが大切との先生の意向で、大塚先生と一同48名のツアーとなった。具体的な旅内容はまず最初に、福嶋雅彦リーダーのHPhttp://masahiko-fukushima.com/ramune1/18_nagano_tumiishizuka.html  ご覧ください。

この大室古墳群と明治大学の関係は深い。先生の恩師である後藤守一先生の奥様が大室出身だったことから1951年(昭和26年)に大室古墳群を発掘するきっかけとなる。当時、大塚先生は助手に着任したばかりで、太平洋戦争終結後6年目の敗戦後の惨めな生活が色濃く残る頃である。60年前に初めてこの積石塚古墳の調査を経験した感動が、積石塚古墳研究に引き寄せられたという。

一同が現地で向かうバスの中で大塚先生は語る。60年前からこの大室古墳群の調査にかかわってきたエピソードをいくつか披露された。当時、発掘調査中の学生に目をかけたご婦人が現地に駆け付けてきて色っぽい声で呼び出す話や失恋した学生が一人さめざめと泣いた本古墳群の一角にある岩の上とか、彼女からの小包は10円玉の山で宿舎の赤電話から毎日恋を語るという純情な話、携帯がない時代の絵になるような逸話だ。

現場に来れば歴史の真実と経験が蘇ると常に大塚先生は言われます。バスの中や現地ではどうしても聞きそびれる話が多い。満88歳の今も現役の考古学者として活躍する大塚先生、「土の中に日本があった」(大塚初重・小学館、2013年)、登呂遺跡から始まった発掘人生、自ら語る考古学人生、そこにも大室古墳群の調査苦労話の記事がある。合わせて以下話を進めます。 実は、大室古墳群は、1872年(明治5年)に大阪造幣局技師として来日した英国人のウイリアム・ゴーランドは畿内はじめとし九州や北関東まで各地の古墳を調査して歩いたことは有名である。この大室古墳群もゴーランドによって積石塚古墳群であることを明治初頭に既に紹介していると。また大室古墳群約500基には古墳番号が付いている。それは地元の中学校・栗林紀道先生が、敗戦後の地道な調査で、積石塚・土石混合塚・合掌型石室の区分を明確にし、その古墳番号を基礎にしているという。
そして後藤先生没後に引き継ぎ、1984年(昭和59年)に約500基の古墳群全体の調査を開始した。しかし毎年、夏場だけの調査で1,2基の測量と清掃、発掘しかできない。これでは全体を解明する
には150年間は費やす調査になると思った。実はそのあとに明確になるのだが、約500基を超える大室古墳群のほとんどは盗掘墳だったのだ。「塚掘の六兵衛」という人物がいて、生涯かけて大室を盗掘したという逸話が地元にあるという。更に先生は語る。大室古墳群の中に屋根型天井をもっていわゆる合掌型石室がある。従来はこの墓制は韓国公州付近(柿木洞古墳等)に類例があることから7~8世紀の渡来系技術者集団の墓と理解されていた。だが調査を進めていくと積石塚のなかで、合掌型石室が最初に出現することが判明してくる。しかも百済系統らしい特異な埋葬例が数十基もあった。例えば大室168
号墳の積石のあいだから、5世紀代のTK208型式須恵器や土師器とともに盗掘を免れた完形に近い土馬(馬を形ちどった土製 品)も出土していて、これらから大室古墳群の築造時期は5世紀中頃、場合によっては5世紀初頭に遡るという。その後、186号の合掌型石室からは馬頭骨・馬具等も検出されたとのこと、彼らは5世紀代に馬の飼育に従事していた渡来人の人々の墓と考えられるという。大室古墳群以外にも大塚先生は松本市針塚積石塚群や山梨県甲府市横根・桜井積石塚群、静岡県浜松市二本ヶ谷積石塚群、群馬県の積石塚群の調査も関係してきたという。これらの
遺跡の調査からも、関東の積石塚古墳群は5世紀代にまで遡ると先生
は力説するのであります。また、長野県飯田市茶柄山古墳群の調査では、5世紀代の馬の殉葬が見られ、飯田市周辺では馬殉葬例が30体に達し、更に日本列島の古代の馬文化は4世紀末には伝わり普及されてきたと最近の考古学の情報をも織り交ぜて説明があった。

現在でも明治大学考古学専攻では、大室古墳群の調査を継続中という。さてバスは大室古墳群の現地に着いた。そこでは先生の愛弟子である研究者の方々がお待ちかねである。大室古墳群の詳細な現地説明と史跡整備事業の取組など、次編に続く。