新潟県:糸魚川世界ジオパークとヒスイに込められた古代ロマン | 趣味悠遊・古代を訪ねて

新潟県:糸魚川世界ジオパークとヒスイに込められた古代ロマン

考古学とともにジオパークにも興味が出てきた昨今、「世界ジオパークのまち糸魚川」に目が留まる。新緑の山々も楽しめる1泊2日の都内発の大手バスツアー(はとバス)に参加した。山や川の成り立ち、古代からの人間生活の関わりを学ぶ 野外学習にと駆り立てられて。日本の東西を分割する大きな溝「フォッサマグナ」の大自然。そこには今もなお貴重な地質や景観が学べる「大地の公園」が展開する。北陸新幹線の開通を1年後に控え、試運転も始まるその熱気で、地元が協賛する旅案内でジオサイトに向かう。日本の風土は糸魚川を境に文化、習慣、言語などの東西の分岐点でもある。この糸魚川ジオパークの中央を貫き太平洋の静岡県まで続く断層沿いに「塩の道」という古道が残っている。上杉謙信が武田信玄の敵方に

塩を送ったという美談を思い出させる。その塩の道(南部)は日本百名山の一つ雨飾山の山麓を走り、ジオサイトとして整備された
しろ池の森(写真)をまず訪れた。更に塩の道(北部)には名瀑・今井ジオサイトの不動滝(写真)が見所である。この地域は上信越高原国立公園、中部山岳国立公園、白馬山麓県立自然公園の中にある素晴らしい自然環境だ。このジオサイトを流れる激流の姫川は日本随一のヒスイ(硬玉翡翠)産地でもあるのだ。特に姫川支流の小滝川ヒスイ渓ジオサイトに聳え立つ明星山(写真)、その絶壁が小滝川に落ちる秘境にあるヒスイ渓(写真)には清流の中に

ヒスイ原石がゴロゴロ(天然記念物指定
で採集禁止)と展開し、まさに地質学の生の学習の場でもあるのだ。また目前の
大岩壁は約500mの高さ、ロッククライミングの絶好のフィールドでもあり、その岩石は約3億年前のプレート移動によって、海底の珊瑚が隆起した大岩壁で、サンゴ等の化石を含む海底ジオサイトでもあるのだ。
突然だが弥生時代末期の卑弥呼の時代、『魏誌倭人伝』には卑弥呼の次の女王・台

与(とよ
)が中国の魏に遣使した貢物の中に「青大句珠二枚」が記されている。緑の濃い翡翠(ヒスイ)勾玉と想定され、ヒスイ勾玉(まがたま)は最高権力者 の装身具としては最高級品であった違いない。出雲大社の宝物殿にあるような立派な勾玉や私が直に見た北海道・奥尻島津波館(写真)で展示されている、頭部に刻文が刻まれた丁字頭勾玉などのように長さ4~5cm位の大形勾玉だったのだろう。美しい緑色のヒスイで、その原石産地を鑑定したところ、ジオパーク糸魚川産であることが判明した。勾玉は神話の時代から神秘的な力があるとされており、祭事を行う人や位の高い人が身に付けていたもの。太陽と月が重なりあった形を表し、大いなる宇宙を崇拝するということを象徴している。遺跡、古墳などの発掘調査で発見される勾玉は日本特有の祭具・神器であり、朝鮮半島の一部の古墳からも丁字頭文様勾玉(原石は糸魚川ヒスイ)が発見されている。糸魚川産ヒスイ原
石は時の大和政権が管理し、その管理下の玉造工房で

勾玉・管玉等に加工された。そして交易により各地に配布されたものである。
ご当地の「奴奈川姫(ぬなかわひめ)と出雲の大国主命のヒスイにまつわる古代ロマンの美しさと悩ましさ、呪術的色彩の濃さ、これに勝る恋物語の神話はここでしか見られない。古事記には「奴奈川姫」という女王が翡翠の勾玉を身につけ霊力を発揮して統治していた。この姫は賢く美しかったので遠く出雲の国まで聞こえ、出雲の「大国主命」は、この姫を嫁にするべくは るばる越の国までやってきて、妻問いの後結婚をし、一子をもうけた(写真)。この子供が御柱の奇祭で有名な諏訪大社の祭神「建御名方(たけなみのかた)命」である。このように出雲や大和が遠く古志(越)の国まで遠征してきたのも、こ

の地に産するヒスイを手に入れる政略結婚だと言われる。
ヌナカワ姫は宝石が採れる川の女神とい意味で姫川と呼ばれ、その河原(記念天然物指定以外)でヒスイ拾いの人々を見ながら帰路につく。