東京都:上円下方墳が東京都にも2基がある、ユニークだ | 趣味悠遊・古代を訪ねて

東京都:上円下方墳が東京都にも2基がある、ユニークだ

古墳には色々な形があるが、図のような上円下方墳と言った様変わりな形状はあまり目にしない。
趣味悠遊・古代を訪ねて 教科書などで見かける巨大な前方後円墳は6世紀末には畿内で、7世紀初めには関東で造られなくなる。そして、天皇やその近親者は八角形古墳(別編で)を採用し、一部の豪族は上円下方墳を築く。やがて律令時代を迎えへ古墳は終了する。まさしくこの古墳は
終末期古墳で全国では5例しかない、しかもその内2基が東京都内に整備し残されている。今回はこの上円下方墳を取り上げたい。

上円下方墳の意味合いは専門書に譲るとして、中国の「天円地方」の思想で「天は円く、地は四角い」という古代中国の天体観の表現を取り入れたものとされる。

①武蔵府中熊野神社古墳(府中市西府町)は日本最大・最古の上円下方墳である。府中熊野神社に復元整備(写真)され展示館もオープンしている。
趣味悠遊・古代を訪ねて 墳丘は二段の方形部(一辺23m、32m)の上に円形部(径16m)を載せた三段築成形で綿密に設計されている。石室は大小の切石を組み立てた横穴式石室で、墳丘の版築工法と同じく
地下にも施され、これまでの多摩地区に見られない新式の土木技術である。副葬品の目玉は「七曜文」を持つ鞘尻金具で最新文化を採り入れている。趣味悠遊・古代を訪ねて

②天文台構内古墳(三鷹市)も熊野神社古墳をひと廻り小さくした上円下方墳である。国立天文台構内に上円下方墳(上円部18m、下方墳部30m)が残されている。墳丘形態や石室、構造、各種の先進的な土木技術の採用など熊野神社古墳と相似形である(写真)。趣味悠遊・古代を訪ねて

両古墳の被葬者は畿内と密接な関係を持ち、後の南武蔵に武蔵国府・国分寺が造営され、また東山道も建設される。その建設にたずさわった版築などの高度な土木技術を持つ集団、この地の有力者(国造クラス)と見られている。

③石のカラト古墳(奈良市神功):奈良と京都の境にある古墳で、8世紀初めごろに構築された上円下方墳(上円部9.2m、下方墳部13.8m)。内部主体は15枚の凝灰岩の切石を用いた横口式石槨。立地から平城京遷都(710年)に関係する皇族の墓ではないかといわれている。
現在復元整備されている(写真下)。趣味悠遊・古代を訪ねて
副葬は銀装大刀の鞘金具、金箔片などが高松塚古墳と共通し、石室に
金箔で表現した「天文図」が描かれていた可能性があり、キトラ、マルコ山と高松塚と共通していることから、この4基を「兄弟古墳」と呼ぶ研究者も多い。

④清水柳北1号墳(静岡県沼津市)は沼津市で最後に築かれた古墳、上円下方墳(上円部径9m、下方部が12.4m)である。8世紀初めの奈良時代のものと推定され、凝灰岩製の石櫃が埋葬されていたことから、被葬者は火葬された可能性が高い。
趣味悠遊・古代を訪ねて この地の郡司クラスか大野牧(官営牧場)の長官と想像されいる。場所は、近々開通する第二東名の清水ICの近辺、高速道路に接して設置されたプラスチックPC製透明板の遮音フェンスは現役時代に携わった製品、それが採用されており懐かしさで撮影する(写真下)趣味悠遊・古代を訪ねて



⑤野地久保古墳(福島県白河市)は全国5番目の上円下方墳(径10m円墳、一辺18m方墳)で東北地方と中央政権とのつながりを示す貴重な古墳として注目される。横口式石槨の高度な加工技術の跡が見られるという。一帯は白河郡衙が置かれた場所とされ、東日本震災前に探したが、同じく横口式石槨を持つ谷地久保(やちくぼ)古墳までしかたどれず残念ながら見逃した。

今回の大地震で被害はどのようだったか聞き及んでいない、風評被害から懸命に立ち直ろうとしている現地一時も早い復興を願う。

この上円下方墳の造営をもって古墳時代は終了し、新しく律令制による国つくりに組み込まれる時代を向かえるのである。