2016年7月3日② | 子宮体癌で旅立った母

子宮体癌で旅立った母

2年4ヶ月子宮体癌と闘った母の記録です。
亡くなってから後悔ばかり…
思い出すのは辛いけど、母の頑張った証をここに残します。

家族との日々の出来事も書きたいです。

私は急いで近所に助けを求めに行った。
前の家のインターホンを鳴らしたけど留守、
隣の家のインターホンを押した。

すみません、母が倒れていて…
ベッドまで運ぶのを手伝って下さい!

おじさんは、びっくりした様子で
付いて来て母の状態を確認。

母の姿を見て、

妻を呼んで来ます‼と言い帰ってしまった。

あ…そうか、男性が女性の体に触れるのは
気を遣うか…

いや、そんなん気にしなくて良いから
助けて…

そして、いつも色々とお世話になっている
奥さんが来てくれた。

その人は、大丈夫だよ、ちょっと待ってね、
ゆっくり少しずつベッドに近づこうね、と。

私はおばさんと必死で運んだ。
40分はかかっただろう。

その間も、母は泣きながら
迷惑かけてごめんね…と何度も言った。

ベッドの側まで何とか来たが
今度はベッドに持ち上げる事が出来ず
私は親戚に助けを求めた。

車で30分かけて母の兄たちが来て
大人5人で持ち上げベッドに寝かせた。

何でこんな事になってしまったの…
昨日まで自分で歩いていたのに。
混乱している私の横で
母が泣きながら話始めた。

夜中の2時にトイレに行ったの。
そうしたら、トイレの壁全面にハエがいて
それを捕まえてたらバランス崩して倒れた。

私と親戚のおじさん達みんなが、
夢?幻覚?と思い、母の話を信じなかった。

でも、夜中2時からって…
12時間も一人で倒れていたんだ…
なんて可哀想な事をしてしまったのか。
私はまた自分を責めました。
朝の電話で見に来ていれば…

ただ一つの救いは
前日にエアコンを付けっぱなしで
寝るんだよ‼と声をかけた事だった。
この日は暑くて熱中症になっていたかも
しれない。

そして、このままではトイレも行けない
自宅にいるのは無理だろうと判断して
救急車を呼び、いつもかかっている
市立病院へ搬送してもらった。

病院へ着くと、頭を打っているかも
しれないからCT、MRIを撮ります、と。

ここからが、地獄でした。
あの瞬間を思い出すと悲しさ、息苦しさ、
そして怒り。
色々な感情が出てしまいます。



続く