あけましておめでとうございます。2025年が始まって1週間がたちました。毎年最初のカドベヤは「書初め」。徳永松游先生に来ていただくようになってもう長い。私は恥ずかしいけれど、書をたしなめるのは去年はこのカドベヤの書初めの時だけでした。徳永先生はいらしてまずこのお正月の書を並べてくれる。
書の書体には、篆書(てんしょ)、隷書、草書、楷書の4種類がありますが、それらの書体を組み合わせて書くのが徳永流。一つの句の中にも物語が見えてくるようです。この日も一句一書を説明してくださいましたが、最後の書は「命毛(これは筆の先のこと)に命をかける年始め」と命に関する句でした。
徳永先生のご友人が書かれた書「命」にインスピレーションを得て書いたものです。考えてみたら、去年も世界では終わらぬ戦争で多くの命が失われました。病の後は、戦。それでも未来の命は育まれていく。それを守りたい気持ちから書かれたものです。
それにしてもどうして私たちは「美しい書」という観念を持つのだろう。それは力とやさしさとバランスのなせる業でしょうか。一つの文字の中に大きな世界が存在しているように思出るのです。
カドベヤの書初めはいつも徳永先生のお話から入りますが、今年は書初めの話から始まりました。書初めは実は1月2日に行うことが多いのだそう。そして1月14日の左義長(さぎちょう)のお焚き上げの時にその書初めを燃やして、炎が高く上がるほど、書がうまくなるということです。
徳永先生は1月12日に大磯で行われる左義長のことを教えてくださいました。
オフィシャルサイトで見ると、なかなかの壮観です。これだけの炎ですから、水辺で行うわけもわかります。皆さん方も足を運んでみてはどうでしょうか。
さて、そんな話から続いて、半紙に向かいます。今年の文字や言葉をみんな思い思いに書きます。いざ漢字を書こうとすると、「あれ、どう書いたっけ?」とみんな筆がとまってしまう。まずはメモ帳に書きたい文字を鉛筆で書いておいて、それから書くといい。漢字が心配で、携帯でまず調べてみたりして・・・。
なかなかうまく書けないので、先生のお手本を書いてもらって真似してみます。
草書は難しいけれど、隷書体(これは日常で使われる書体だったそう)は安定感があります。先生がおっしゃるには、「平たく書く」のだそう。なるほど。読みやすいのは、文字が踊りすぎていないからなのですね。
どんどん言葉が満ち溢れていきます。皆の想いが重なります。
(この「禅」は徳永先生に書いてもらったもの。今日は来ることができない海東さんからのリクエストです。)
書き終えて満足した皆さんは台所のお手伝い。今日は、恵子さんが来てくださって、以前も作ってくださった美味しい京風のお雑煮を作ってくれました。白みそで、昆布出汁をちゃんととって作ってくれる。お汁が濁らないように、みそは最後になって入れる。お野菜もたっぷりです。
いつも「元旦」と書いてくれた小宮さんの代わりは、順子さんが書いてくださいました。(そういえば、元旦とは、1月1日の朝のこと。元日とは1月1日という日のことだそうです。となると、本当はカドベヤで書くべきは「元日」だったのだね。)
(しげる棒は加賀さんの書。小宮さんが好きだった「かりんとう」のこと。カドベヤでは「しげる棒」と読んで加賀さんが手作りしてくださいます。)
加賀シェフは、虹色畑でいただいた白花豆と黒豆をそれはおいしく炊いてくれました。なんといっても今日は早くから来てくださってコトコト煮てくれたのです。それはそれは立派なお豆で、つやつやとあまりにおいしそうで、みんな誰も見ていないうちにつまみ食いが、やがては堂々とつまみ食い。カドベヤに来て、いきなり食べてしまう皆さんも。当然だね。
庭田シェフは米麹の甘酒を用意してくれました。優しい甘さ。だって砂糖ではなくお米の甘さなのですものね。
というわけでお正月の主人公たちがそろいました。
それ以外にも彩を添えるのは、ゆで卵と、ほうれん草のマヨネーズと豆板醤あえ、そしてほうれん草とクリームのソース。梅肉を叩いたもの。
もちろんお餅とくればきな粉と磯辺焼きでしょう。
今年もこんな風にみんなで年明けを祝えたことのありがたさをかみしめます。
下は食事の前に恒例の集合写真です。
お餅三昧のカドベヤのお正月。もっともっと食べたい人もいたかもしれませんが、どうしても全部食べ切りたくなかった私。毎年、お餅を持ってくるのは小宮さんのお仕事だったのです。余ったお餅は小宮さんが持って帰った。今年も小宮さんに持って帰ってもらいたかった。今年は6つ残った。ということで、加賀さんにその代わりに持って帰ってもらいました。小宮さんもそれを望んでいるだろう。
(庭田さんの一言)
皆さんを真心こめてこの1年も待っています。そして、世界に「あんしん」が戻ってくる1年となることを祈っています。