第百七十二社・平塚八幡宮 | 百社詣で・百寺詣で

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 JR東海道本線平塚駅北口を出て正面の道をまっすぐ行くと数分で平塚八幡宮。相模國五之宮。まだ正月六日で、土曜日ということもあり、夕方にも関わらず初詣の参拝客が思いの外多い。そうなるとゆっくり参詣、じっくり撮影、などはとても難しい。

 

 

 平塚八幡宮は駅のほぼ正面、大通り沿い、平塚市街地のど真ん中に立地しているので、市民だけでなく時折訪れる市街の人たちにもわりと馴染み深い社と言える。

 その由来は『神奈川県神社誌』によれば、次の通り。

 仁徳天皇の六十八年に相武の地に大地震が起きる。山は崩れ、河水は氾濫。官舎や民家は倒壊して惨状は目を覆うばかり。天皇は心を痛め、手厚く祭祀を行った。応神天皇に祈願すると大震災はたちまち消えて静穏に帰った。そこで相武川の川下に社殿を創建し、八幡大神を祀られた。

 推古天皇の御世にも大地震が起こり、天皇が「鎮地大神」の御宸筆を捧げたところ、国土が静穏となった。文武天皇は「天晴彦」の宝剣を奉献したともある。

 また『吾妻鏡』には、頼朝が妻の北条政子の安産を祈願し、神馬を奉納したことが記されている。

 昭和五十三年(1978)に八幡神社を平塚八幡宮に改称した。

 境内社も多く、若宮社、神明社、諏訪社、浅間社、弁財天、鶴峯山稲荷神社などがそれほど大きくはない境内に点在している。

 

左から神明社、若宮社、諏訪社

 

鶴峯山稲荷社は池の中の浮島に

 

[神奈川県平塚市浅間町1-6]