第百七十一社・日枝神社 | 百社詣で・百寺詣で

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 JR東海道本線平塚駅からはかなり距離がある。北口を出て正面の道をまっすぐ行くと平塚八幡宮の信号に当たり、ここを左折。10分ほど歩くと検察庁前の交差点、ここを右折して北上。そして30分ほども歩くだろうか。住所表示が「中原」になってなお進むと、左側にこんもりとした樹木の密集が現れる。ここが日枝神社。

 

 

 江戸城の南にある日枝神社と言えば、「江戸の産土神」であり、「徳川家の守り神」である。同様にこの平塚の日枝神社も徳川家とは切っても切れない神社だ。

 というのもここ平塚の中原には「中原御殿」があった。家康が鷹狩などでよく訪れた場所で、その逗留地としての御殿である。御殿の北東に当たる位置にあるのがこの日枝神社。北東、つまり鬼門である。そこを押さえるために建立された神社ということだ。

 境内には背の高い樹が林立し、日中でも若干の薄暗さを感じる。社殿は簡素でありつつ風格を醸している。祭神は大山咋命。

 

右から神明神社、八坂神社、稲荷神社、天満宮と並ぶ境内社

 

 境内社として八坂神社、稲荷神社、神明社、天満宮が祀られているが、何よりもここには東照宮がある。

 

日枝神社内の東照宮

 

 当地にあった中原御殿は、明暦の大火(1657)のときに江戸城が焼失したことによって、江戸に移送されてしまった。御殿跡地には樹が植えられ、東照宮が祀られた。長く御殿跡にあった東照宮は、明治四十二年(1909)跡地に小学校が移転してきたため、この日枝神社に合祀されたという。

[神奈川県平塚市中原3-20-16]