第百七十六寺・浄運寺 | 百社詣で・百寺詣で

百社詣で・百寺詣で

近しき者の病気平癒を祈願して歩いた百社百寺
疫病退散を祈り巡る続百社百寺
旧き街道を訪ね、昔日の旅を想う

 

 JR横浜線町田駅を北口に出て、JR町田駅前の信号から原町田大通りを進み、数分で右手に狭い間口の日蓮宗・浄運寺がある。

 町田の市街地の真っ只中にある。

『新編武蔵風土記稿』には、「天正五年(1577)七月、日明開闢せり」とあり、その後寛永十四年(1637)までは無名の庵寺であったという。浄運院日徳が入寺した折に、浄運寺という寺号となった。

 また『町田市史』に面白い記述がある。

「墓地に原町田村代々の名主・武藤氏の墓が列立していて、典型的名主墓地となっている」

 大名家代々の墓が、というのはよく聞くが、名主墓地というのは初めてだ。でもよく考えれば、そういう寺も少なくないはず。あまり知られてないだけなのだ。そしてもう一文。

「明治二十五年三月十二日の夜、多摩壮士二十数名の襲撃を受けて斃れた大蔵村の医師・大須賀明の墓などもあって、明治初年の地方政争がしのばれる」

 八王子や多摩のあたりでは維新後の民権運動が盛んだったり、東京と神奈川の県境の線引き争いなどがあったということは、何かで読んだことがある。その一端の話なのだろうか。

 

 

 本堂は小ぶりな唐破風がいいアクセントとなって、重厚な屋根を軽やかに印象付けている。それほど装飾もなく、堅実な感じである。

 境内にある妙見堂は清正公を合祀している。また、庭には「昭和大鬼」と書かれた鬼瓦が置かれており、これは以前使用されていたものなのだと思われる。こうして展示しておくというケースも珍しい。

 

昭和大鬼

 

 鐘楼の石段にはガラス状の器がずらりと並べられている。これはおそらくキャンドルなのではないかと。時節柄、ライトアップやキャンドルライトが街を彩る頃なので、この寺でもそうしたイベントを行っているのだろう。

 

 

 もうひとつ気になったのが「ツーリングオアシス」の表示。バイクで旅する人たちのお休み処、といったところなのだろう。これは全国各地に結構あるらしく、そのマップなども置いてあり、さらには記念グッズなども揃っている。お寺で休憩してもらい、お参りしてもらうというのはなかなかのアイディアだ。「疾風巡拝」なんて言葉も今風だ。

 

 

[東京都町田市原町田6-21-28]