第百七十一寺・承教寺 | 百社詣で・百寺詣で

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旧き街道を訪ね、昔日の旅を想う

 

 JR山手線高輪ゲートウェイ駅を降り……いやしかし何で駅名をゲートウェイにしたか。高輪大木戸門で良かったんではないか。市町村合併による旧地名の消滅なども同じで、こうやって歴史認識が希薄になってしまう。

 戯言(ざれごと)でした。国道15号から西へ行く桂坂を登り、高輪警察署前の交差点を右折すると、ほどなく右手に奇妙な像が現れる。

 これは狛犬、のようなものなのだろうか。しかしここは日蓮宗・承教寺の入口である。神社ではない。

 顔は、人のようである。身体は……じいっと観察すると、どうやら牛のようだ。これはもしかして、「件(くだん)」なのではないだろうか。

 

 

 「件(くだん)」をご存知だろうか。

 頭が人で身体が牛の妖獣で、生まれるとすぐに予言をする。作物の豊凶、天災、流行病等。その予言が当たる。「件(くだん)」自身はすぐに死んでしまう。予言獣である。

 江戸時代頃からの伝説と言われ、多くの地域で少しずつ形を変えながらも多くの伝説が残っている。「件(くだん)」と呼ばれるのも「人」と「牛」を合わせたからともいう。

 

江戸時代に丹波国に現れたという「件(くだん)」の「瓦版」

 

 南方熊楠は紀州で飼われている「件(くだん)」は「顔がまるで牛」と書き残し、牛面人身の「件(くだん)」も数多く伝わっている。水木しげるの描く「件(くだん)」は何とも愛らしい。

 

水木しげるの「件(くだん)」

 

 そしてこの承教寺の「件(くだん)」である。何故ここに「件(くだん)」が、という点について調べてみたが、それはわからなかった。

 しかし実に心惹かれる像である。左右ともにほぼ同じ像で、「阿吽」ではない。表情は東アジア的で、その意味では仏像のルーツに近いものを感じる。

 私は何の情報もなしでここを訪れ、この像に出会った。その衝撃はかなりのものであった。思いがけぬものとの遭遇、計算してできることではない。ありがたい。

「件(くだん)」像の間を抜けると、正面に山門が見える。これは仁王門。ここには「阿吽」の仁王像が左右に睨みを利かせている。正安元年(1299)に承教寺が創建されて以来、ここに寺を守る仁王像である。

 この仁王門は現在、下を通り抜けることができず、脇を通って本堂の前へ。境内の右側が一部駐車場になっており、ちょっと興を削がれる。

 だが、天頂の大きな宝珠から流れるように下る屋根瓦の本堂は端正で美しい。

 

 

 創建時は芝の西久保にあった当寺は、承応二年(1653)に当地に移転し、池上本門寺の末で触頭を務めた。本門寺の貫主も出している。

 本尊は「絹本着色英一蝶筆 釈迦如来画像」。英一蝶(はなぶさいっちょう)の墓もこの寺にある。

 

江戸時代の絵師、英一蝶の墓

 

 英一蝶は江戸中期の絵師。英派の始祖である。書や俳諧、音曲にも秀でた通人だ。彼は『当世百人一首』や「朝妻舟」の図などで将軍綱吉を風刺したため、12年間も三宅島に配流されてしまった。大赦によって江戸に戻ったあとに英一蝶を名乗り、江戸の風俗を描き続けた。

 承教寺は「二本榎」のほうが有名かもしれないが、その話はまた別の機会に触れたい。

[東京都港区高輪2-8-2]