第百五十三社・笠䅣稲荷神社 | 百社詣で・百寺詣で

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 前記の能満寺から京急の線路沿いを川崎方面へ少し行くと、線路の下を抜ける道がある。これをくぐると正面に笠䅣(かさのぎ)稲荷神社がある。

 そこだけ木々に囲まれた一画。紅い幟が並ぶ十段ほどの階段の上に鳥居があり、その奥の社殿は木々の暗い影が覆っていて見えにくい。

 境内を進んでいくと、直線的なフォルムの社殿が目に入る。

 

 

 創建は天慶年間(938-947)というから、平将門の頃、平安中期。文永十一年(1274)の元寇のときは、時の執権・北条時宗がこの社に菊一の銘刀と神鈴を奉納し、国家安泰を願ったと『神奈川区史』にある。

 往時は稲荷山の中腹にあったが、元禄二年(1689)に遷座した。さらに明治期になって社地が東京・横浜間の鉄道敷設用地になったため、現在地に移った。

 笠䅣の名は『新編武蔵風土記稿』にこうある。

「昔、人が笠を戴きて社前を過ぐるときは、おのづからぬけて地に落ちると云う。故にこの名ありと。をぼつかなき説なり」

 言い伝えというものはえてして「をぼつかなき」ものなのである。

 もうひとつ、この神社に土団子を供えると病が治るという「特殊信仰」があり、お礼には粢団子を供えるという。

 

 

 この笠䅣稲荷神社には板碑が残されている。横浜市指定有形文化財であり、鎌倉時代末期から南北朝時代初期のものとみられる。板碑の上部には阿弥陀如来を表す種子「キリーク」が書かれ、中ほどには天蓋、その下に南無阿弥陀仏の梵字が刻まれている。この板碑のように変形五輪塔を刻するものは珍しいという。

[横浜市神奈川区東神奈川2-9-1]