ここで、ACIMの成立経緯とかACIMの構成とかそんな話はしないのですが、もっと抜本的な話として、
フロイトの著作に「トーテムとタブー」「モーゼと一神教」といったような著作があるのですが、そこで描かれていることは、だいたい、大昔にある絶対的な権力を持った王がいたのだが、ある日、その圧制に服従していた民たちが一致団結してその王を殺すのだが、その後もまるでその王の亡霊がその民を支配しているかのように、民はいわれのない罪悪感にしばられて空席となった王の座は空のままに王の亡霊に支配され続ける、といったような話なのですが、
キリスト教では、この人間という存在が根源的に抱えている罪悪感は原罪によるものである、と言われ、イエス・キリストを信じることによって、人間は、この原罪を許され、救済されるというのですが、
ACIMでは、そもそも原罪というような出来事は起こっていないのだ、と言います。まあ、そう言われただけで救われた気になる人もいないでしょうから、原罪という概念が知覚の歪みであるとすれば、そもそも原罪などなかったという知覚の訂正のために、赦しの実践や、365日分あるワークブックのレッスンを行うことによって、そもそも原罪などなかったのだ、という新しい物の見方を身に着けていく、といったような心の訓練の本です。
まあ、そもそも「引き寄せの法則」って何よ?、っていう話もありますけど、ここでは、ざくっと、「ザ・シークレット」やエイブラハムの本に書かれているようなこと、としておきますけど、
当たり前ですけど、必ずしもすべての人が、これらの本やこのブログを読んで、これをやらなきゃいけない、やったほうがいい、っていう話でもないですよね。
たとえば、引き寄せの法則とかっていう感じよりも、いわゆるおまかせ系のやり方のほうが、すっきりする人もいると思います。と言うよりも、おまかせ系のやり方のほうがすっきりする人が、無理矢理、引き寄せの法則系のやり方をやろうとしても、それは無理があります。どちらがいいとか悪いとかっていう話でもないので、自分で気持ちのいいものを選んでやってみるのがいいと思います。まあ、しごく当たり前の話ではありますけど(笑)
で、引き寄せの法則に限っても、どの部分は自分に取り入れる、っていうのも人それぞれで、ある人は、明確に人生で成し遂げたいことの目標がはっきりして、それを実現するために、イメージングとかの技法も使ったりするでしょうし、またある人は、そういう部分ではなく、いつもいい気分でいることを心掛ける、といったような技法の部分だけを使う人もいるでしょう。
僕は、引き寄せの法則で得られる最大のものは、かなり抽象的な表現ですが「自由」だと思っているのですが、この「自由」という言葉にしても、イメージは人によってさまざまで、たとえば昨日紹介したクリシュナムルティの代表的な著作は「自我の終焉」というのですが、この本の原書タイトルは「最初で最後の自由」といったニュアンスのタイトルです。当然ですが、クリシュナムルティの語る自由と、引き寄せの法則で言われる自由は定義が異なっていると思うのですが、引き寄せの法則でいう自由とは「好きなときに好きなことをやって生きていく自由」とでもいったものでしょうか。
そもそも引き寄せの法則では、人生の意味というのは、あらかじめ誰々さんは○○をやることになっている、というような形而上学をとらないので、そもそも自分の人生を自由に自分で創造していくことの楽しみ自体にワクワクする、というスタンスがある人に向いていると思います。
あなたはそんな自由に惹かれますか? ワクワクしますか? もしそうなら引き寄せの法則関連の本やブログを読んで、自分でいろいろ実験しながら実践してみるのも楽しいと思いますよ。
というわけで、今日のおまけは、自由ということで、尾崎豊の「17歳の地図」の動画など貼ってみました(笑)
当たり前ですけど、必ずしもすべての人が、これらの本やこのブログを読んで、これをやらなきゃいけない、やったほうがいい、っていう話でもないですよね。
たとえば、引き寄せの法則とかっていう感じよりも、いわゆるおまかせ系のやり方のほうが、すっきりする人もいると思います。と言うよりも、おまかせ系のやり方のほうがすっきりする人が、無理矢理、引き寄せの法則系のやり方をやろうとしても、それは無理があります。どちらがいいとか悪いとかっていう話でもないので、自分で気持ちのいいものを選んでやってみるのがいいと思います。まあ、しごく当たり前の話ではありますけど(笑)
で、引き寄せの法則に限っても、どの部分は自分に取り入れる、っていうのも人それぞれで、ある人は、明確に人生で成し遂げたいことの目標がはっきりして、それを実現するために、イメージングとかの技法も使ったりするでしょうし、またある人は、そういう部分ではなく、いつもいい気分でいることを心掛ける、といったような技法の部分だけを使う人もいるでしょう。
僕は、引き寄せの法則で得られる最大のものは、かなり抽象的な表現ですが「自由」だと思っているのですが、この「自由」という言葉にしても、イメージは人によってさまざまで、たとえば昨日紹介したクリシュナムルティの代表的な著作は「自我の終焉」というのですが、この本の原書タイトルは「最初で最後の自由」といったニュアンスのタイトルです。当然ですが、クリシュナムルティの語る自由と、引き寄せの法則で言われる自由は定義が異なっていると思うのですが、引き寄せの法則でいう自由とは「好きなときに好きなことをやって生きていく自由」とでもいったものでしょうか。
そもそも引き寄せの法則では、人生の意味というのは、あらかじめ誰々さんは○○をやることになっている、というような形而上学をとらないので、そもそも自分の人生を自由に自分で創造していくことの楽しみ自体にワクワクする、というスタンスがある人に向いていると思います。
あなたはそんな自由に惹かれますか? ワクワクしますか? もしそうなら引き寄せの法則関連の本やブログを読んで、自分でいろいろ実験しながら実践してみるのも楽しいと思いますよ。
というわけで、今日のおまけは、自由ということで、尾崎豊の「17歳の地図」の動画など貼ってみました(笑)
本屋で何気に見かけて、訳者に吉田利子ってあって、吉田利子って「神との対話」や「神の使者」やエイブラハムのシリーズのあの吉田利子さん? えらくまたしぶい本を訳したなぁ、と思いながら、うっかり(?)買ってしまった。
個人的にはクリシュナムルティ(以下、K)にはえらくはまっていた時期があって、Kの本は20冊くらいは家にあると思うのですけど、みたいなので、この本もざくっと読んで、あー、Kだねー、と思っただけなんですけど、Kの本を読むのは、もう何年かぶりだったので、あらためて思ったのですけど、
Kの本って、なんか独特なものがありますよね。なんというか他のノンデュアリティとかアドヴァイタの人の本とあきらかに一線を画すのは、Kの本ってすごぉおおおおく論理的なんですよ。だからこそ前者後者の前者の人のみがはまれる世界なんでしょうけど、
当たり前ですけど、Kの本読んだってKと同じ状態(つまり世間で言うところの覚者)になるわけではないのですよ。そりゃ当たり前なんだけど、他の人の本と違ってKの本って論理的には理解できちゃうわけですよ。
だもんだから、僕自身もかつてそうだったし、今でもKのことを語ろうとするとそうなっちゃうんですけど、なんというか「Kはこう言ってたもん」って、なぜかK信者みたいになっちゃうのですよね(笑)
そういうつもりがあるわけではないのに、そうなっちゃうのがKの摩訶不思議な世界で、K自身のメッセージが教会やイデオロギーの信者になるな、っていうメッセージなだけに、すごいアイロニーだなぁ、と思わざるえないのですけど(笑)
あれは何なんだろうなぁ。何でだかわかんないけど、Kワールドってそういうものなんですよ(笑)
まあ、つまりKを久しぶりに読んで、久しぶりにそういう感じを感じた、っていうシェアでした。クリシュナムルティあるある、みたいな話?(笑) とりあえず、あいかわらずなんのレビューにもなってないレビュー投稿ですいません(笑)
ブッダとクリシュナムルティ―人間は変われるか?/コスモスライブラリー

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