奇妙なフェスタに招待されてる孤独なペリカン、誰かが君を月のまぶしさから隠そうとしてる -2ページ目

奇妙なフェスタに招待されてる孤独なペリカン、誰かが君を月のまぶしさから隠そうとしてる

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「わたし」が「わたし」を生きるとき、目標・願望の明確化ということはとても大切です。これができていないと、自分が何のために生きているのかわからなくなったり、漠然とした不安に襲われてしまうからです。

ですから、あなたもぜひ、目標・願望は明確化してください。そしてその時に気を付けるべきことはエコロジー・チェックということです。

目標は達成すれば、いいことばかりかと言うと、逆にそのことによって失うものも出てきます。たとえば、あなたが今、非常に怠惰で気楽な生活をしているとして、目標が大企業のビジネスオーナーで年収何十億というようなものであれば、その生活は非常に怠惰で気楽なものではないでしょうし、もしあなたが今、体重が多すぎてそれを減らすことが目標だとすれば、その目標を達成したときにあなたのまわりにいる友達はもしかしたら今のあなたのまわりにいる友達とは質が違っているかも知れません。

そうした目標を達成することで失われる現状の心地よさを事前にチェックして精神的にそれに備えておくことも大切です。なぜならあなたは今の自分が心地よいから今の自分なのですから。もちろん目標・願望を明確化して実現しようとしているあなたには現状への不満があってそれを変化させることを望んでいるのですが、潜在意識には現状維持機能とでも呼ぶような仕組みがあって、それがあなたが変化していこうとするときに、ストップをかけてくることになるのです。

この潜在意識の現状維持機能については後日、また詳しく書きたいと思いますが、そういった意味で、一番大変で大切なことは、最初の一歩を踏み出すということかも知れません。怖れや億劫な気持ちがあるかも知れませんが、まずは一歩を踏み出してみましょう。

まず、一歩を踏み出さないことには何もはじまりません。頭の中で考えているだけでは何も変わらないのです。

そして、目標・願望を明確化したら必ず紙に書きましょう。そして、日々、それに対してできる行動をアクションプランとして明確化して、それを日々、ひとつづつこなしていきます。そうすれば必ず目標は実現するのです。いちど、目的地を大阪と決めて東京から歩き出せば途中であきらめない限りは必ず大阪に着くのです。

■悟りについて

悟りとは、「存在は現実と非現実としてあらわれているが、個人としての存在には非現実は見えないということです。現実とは色即是空、空即是色で言うところの色、すなわち形の世界。非現実とは色即是空、空即是色で言うところの空、すなわちの形のない世界です。色と空は異なるものではないのですが、分離した個人としての存在からは、非現実である空というものは知ることができません。

かつて、道元禅師が生きた時代、世間では大乗の天台本覚思想という「この世界はありのままそのままですでに完璧なのだ」という思想が世間では一般的でした。そこで道元は求道をはじめるにあたって、、この世界がそのままで完璧であるのならば、人はなぜ、修行をしたりして悟りを求めるのだろうか、という疑問から道を歩むことをはじめられたそうです。

この「この世界はそのままありのままで完璧である」ということと、「修行して悟りを得る」というふたつの観念は、一見すると相矛盾しているように思えますが、これこそが上記で書いた「存在の現実と非現実としてのあらわれであり、すなわち大乗の「この世界はこのままありのままで完璧である」という天台本覚の思想と小乗の悟りを求めて修行するという思想は、異なるふたつのものではないのです。

■アートマンプロジェクト

人は生まれたときには自我というものが存在せず、そしてやがて成長するにつれて自我が形成されてきて、そしてやがて正常ならば健全な自我といでもいうような理想的な自我が形成されて、そしてさらに今度は自我を超えて成長して行き、そしてやがて無我と言われる悟りの世界に達する。これがいわば「アートマンプロジェクト」と言われるものです。

これは個人の人生に当てはめてみてもいいですし、人類全体の進化の過程としてとらえてもらってもかまいませんが、つまり人類という存在は自我のない状態からはじまり、そして自我を形成し、そして最終的には自我の世界を超えた無我の世界にいたり、そこですべての苦しみは終焉を迎え、調和の世界が訪れるという思想です。

これは一面においては真理なのですが、先の悟りの項目にも書いたように、現実と非現実はともに存在のあらわれなので、自我の世界を現実、そして無我の世界を非現実とするとそれは今ここに同時にあらわれているのです。その意味においては「アートマンプロジェクト」というのは、あくまでも分離した個人から見た「ストーリー」にすぎないわけで、非二元という観念からすればそんなものは起こったこともないし、これからも起こることはないのです。しかし、私たちは自我としての現実の観点からしか世界を見ることができず、非現実は見えないので、理論としてはそういうことは理解できても、やはり、「アートマンプロジェクト」というストーリーの中の住人にしかすぎないのです。

では、私たちはいったいどうしたら、その「アートマンプロジェクト」というストーリーから抜け出すことができるのでしょうか。

答えはここまで読んでいただいた方なら当然理解できると思うのですが、何も「アートマンプロジェクト」という「ストーリー」を抜ける必要などないのです。一見すると「アートマンプロジェクト」というストーリーは個人に苦しみだけをもたらすように思えます。

しかし、これも捉え方次第なのです。あなたが自分は「アートマンプロジェクト」という「ストーリー」に捉われていると考えるならばそれはエスケープすべき苦しみであることは確かですが、ここでのポイントは、あなたは敢えて「アートマンプロジェクト」を楽しむためにこの世界にやってきたのだ、と考えてみることです。

この発想の転換で、あなたは「自由」を手にするのです。もしもあなたが強制的にこの世界の「アートマンプロジェクト」に放り込まれてなんとかそこから抜け出さなければならないと考えるならば、そのとき、あなたは「不自由」です。逆にあなたは自分から望んでこの「アートマンプロジェクト」の世界を遊ぶためにやってきたのだ、と考えればあなたは「自由」なのです。

もちろん「アートマンプロジェクト」はある意味、幻想です。しかし、その幻想をとてつもなく苦しみにあふれたものと捉えるか、それとも喜びにあふれたものと捉えるか、はあなたの捉え方次第なのです。

■ハーモニーの世界

私の好きなアニメ映画に「ハーモニー」という作品があります。ここでは内容は書きませんが、この作品の中では人類の意識が失われた世界の中にだけにほんとうの「ハーモニー」は存在するのだ、というメッセージが示唆されます。

先のアートマンプロジェクトについて書いたときに触れたような「無我」の世界、これを意識のない世界と表現しているのですが、人類が進化してその段階に至ったときに、やっと人類はほんとうの「ハーモニー」の世界に至れるのだ、というのです。意識のない世界、すなわち無我の世界なのですから、当然、そこには「わたし」は存在しません。「わたし」も「あなた」もなく、物事は自明にただ起こるのです。

これではいったい何のために人は生きているのかわからないという人もいるかも知れませんが、そのような疑問を抱く「わたし」もそこにはいないのです。

これは一見すると、ユートピアならぬ、とてつもなく醜悪なディストピアな世界に感じる人もいるかも知れませんし、人によっては、ああ、それこそが私が求めていた世界なのだと憧れをいだく人もいるかも知れません。いずれにしても私は何の神秘体験もしたことがないたんなる中高年男性にしか過ぎないので、このアニメ映画がつきつけてくる、この究極の問いに答えることはできません。

■愛について

この世界には、ほんとうは愛しか存在しないのです。しかし、分離した個人にはあたかも「愛の不在」、すなわち「愛以外のもの」が存在するように見えてしまいます。

この世界には、ほんとうは健康しか存在しないのです。しかし、分離した個人には、あたかも「健康の不在」、すなわち「病気」というものが存在するように見えてしまいます。

この世界には、ほんとうは豊かさしか存在しないのです。しかし、分離した個人には、あたかも「豊かさの不在」、すなわち「貧困」というものが存在するように見えてしまいます。

■分離した個人という観点

すべての苦しみの原因は「分離した個人の観点」にあるとよく言われます。私たちは神から分離したと感じたとき、不安を感じるようになりました。その不安はふたたび神とひとつになるまでは癒されることはないのです。

しかし、これはもちろん「ストーリー」です。私たちは決して神から分離したことなどないのに、あたかも「時間」という幻想の中で、あたかも神から分離が起こり、失われた神を求めて泣き叫ぶ子供たちという劇を演じているという幻想の中にいるだけなのです。

では、私たちはどうすればこの劇から目覚めることができるのでしょうか。

瞑想することによって?

あるいは、他のなんらかの修行をやることによって?

逆説的ですが、私たちがこの幻想の夢から目覚めて、苦しみではなく、喜びの中で生きるためには、敢えてこの分離した個人を精一杯に生きることによってなのです。

もちろん、この宇宙の進化生成というものも、たんなる「ストーリー」にすぎないのですが、敢えて、私たちが生まれてきたのは、この宇宙の進化生成に貢献するためだと考え、精一杯の分離した個としての「わたし」を精一杯に生きることなのです。

次項以降では、「わたし」を精一杯に生きる、ということについて書いていきたいと思います。

ふと思いついて、「ACIM」「奇跡のコース」「奇跡講座」ってどれがいちばんポピュラーなんだろ、と思って Googleトレンドで調べてみたのですが、やはり予想通り「奇跡のコース」が一番多いですね。でも、思ったほど圧倒的に差がある、ってわけでもないのも意外でしたけど。




でもこれは、そもそも「ACIM」や「奇跡のコース」「奇跡講座」っていう言葉自体がまだまだ超マイナーで、たとえば「引き寄せの法則」なんていう言葉と比較してみると、写真のような結果なので、SEO的にどれを使う?という観点からすれば、その言葉を使うことよりも、キャッチーなコピーの見出しをタイトルにつけたほうがまだしもかも、知れない面もありますね。




元々、私のFacebookの友達は、コースの学習会で知り合った方とかが多いので、コースは自明な人が多いけど、世間的にはやっぱり「引き寄せの法則」に比べれば「奇跡のコースって何?」って感じなのが実情のようですね。


まあ、逆に言えば、まだトレンドすら迎えていない、ということで、引き寄せの法則の happyさんや奥平亜美衣さんのように、それを看板にして誰かがどーんと世の中に出ればトレンドワードになる可能性もある、ということで、あなたがその誰かになれるかも、っていう話でもありますけど。