入院している父に会うため岐阜県大垣市に帰省しました。
面会は午後からとのこと。
午前中はLSDを兼ねて西濃鉄道 昼飯線(廃線)に走って行ってみることにしました。
主目的の廃線だけでなく、そこまでの道筋で偶然見つけたちょっと気になるものについて書いてみます。
早速出会ったのがこの植物。
フランクフルトにしか見えない
子供のころはよく見かけた気がしますが、こういう植物が存在するということすら忘れて何年たつのだろう。
名前も覚えていないので、Google画像検索で調査。
そうか、ガマ(蒲)という名前だったね。
触ると爆発して中身が飛び出すらしい。
そう言われてみれば、さんざんやったことがある気がします。
小学校までの通学路にあるこの神社。
毎日通っていたのでもちろんよく知っています。懐かしい~。
が、むむむ・・・漢字が読めない。
マウスで手書きすると認識してくれるサイト☆で調べました。
瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が祀られている瓊瓊杵神社だと判明。
あまり聞き覚えがありません。
小学生の時は単に「神社」と呼んでいたのかも。
特別立派な神社ではありませんが、綺麗に維持されています。
旅ランをする時に、社寺を見つけたらたいてい寄らせてもらうのですが、瓊瓊杵神社を見かけたことはありません。
調べてみたら、岐阜県大垣市のほかに、石川県と富山県に一つずつ、そして違う漢字で滋賀県に一つありました。
滋賀県の邇々杵神社には立派な多宝塔もあるようです。
話を戻して、大垣の瓊瓊杵神社。
「創建年月及縁由不詳」と岐阜神社庁のホームページ☆にはあるだけ。
仕方がないので瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)について勉強したことをメモしておきます。
- 邇邇芸命とも書く
- 天照大神の孫
- 天孫降臨(てんそんこうりん)とは、天孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が、天照大御神の神勅を受けて葦原の中津国を治めるために、高天原から筑紫の日向の襲の高千穂峰へ天降(あまくだ)ったこと
- 木花開耶姫(このはなのさくやびめ)を娶った
- 美しい木花開耶姫には醜い姉石長比売(いわながひめ)がいた
- 木花開耶姫との結婚に際して石長比売も一緒に嫁いできた
- 瓊瓊杵尊は石長比売を送り返してしまう
- 姉妹の父大山津見神(おおやまつみのかみ)は激怒
- 大山津見神は次のような誓約(うけい)をたてたと説明
石長比売を妻にすれば天津神の御子(瓊瓊杵尊)の命は岩のように永遠のものとなり、
木花開耶姫を妻にすれば木の花が咲くように繁栄するだろう - にもかかわらず、木花開耶姫だけと結婚すれば、天津神の御子の命は木の花のようにはかなくなるだろうと言われた
- それでその子孫の天皇の寿命も神々ほどは長くない
- 木花開耶姫は一夜で身篭るが、瓊瓊杵尊は国津神の子ではないかと疑った。
- 疑いを晴らすため、誓約をして産屋に入り、「天津神である瓊瓊杵尊の本当の子なら何があっても無事に産めるはず」と、産屋に火を放ってその中で火照命・火須勢理命・火遠理命の三柱の子を産んだ
- 火遠理命の孫が初代天皇の神武天皇である
- 木花開耶姫は富士山を神体山としている富士山本宮浅間大社と、配下の日本国内約1300社の浅間神社に祀られている
長くなってしまいました。
木花開耶姫については富士山のことを調べた時などに記憶に残っていましたが、ご主人が瓊瓊杵尊なのですね。
(奥様の方が有名ですね)
神話も聞いたことがありましたが、主人公の名前が瓊瓊杵尊であることを記憶できていませんでした。
廃線までたどり着けるかとても心配になってきましたが、立派な神社がほかにもあったので、軽く触れておきたいと思います。
桧町にある楯築神社 (たてちくじんじゃ)
これも読めませんでした。
以下、岐阜神社庁のホームページから。
主祭神:楯築大神(たてちくのおおかみ)
由緒由来:創祀不詳
楯築大神について調べましたが、全くと言っていいほど情報がありません。
お社は瓊瓊杵神社よりも立派です。
そして、熊野町の熊野神社。
この神社の存在は知りませんでした。
こんな田舎に菊花16弁の皇室御紋章のついた神社があるとは!
同じく、岐阜神社庁のホームページから。
主祭神:伊邪那美神(いざなみのかみ)
由緒由来:約百五十年前熊野神社御分神を受け、熊野村の産土神として奉齋し、村人の崇敬厚く再度社殿を復興修理し、今日に至る。
境内の石碑には、一つ前の楯築神社 (たてちくじんじゃ)が熊野神社の「式神」という位置づけで記されています。
式神とは・・・
長くなりすぎるのでやめておきます。
ぐっちぃさんのブログを見て、「いいなぁ京都は」と思っていたのですが、ここにもありました。
アジサイの花がだいぶ少ないけれどもね。
やっと線路(笑)
踏切から撮影しています。
美濃赤坂駅に電車が止まっています。
左に分岐しているのが、目的の西濃鉄道 昼飯線。
「やっと線路が出てきたと思ったら、今度は寺かー」と言われそうですが・・・
「ここは何かある」という確信に近いインスピレーションがあり、寄らずにはいられませんでした。
小さくて見えないと思いますが、徳川の葵のご紋が瓦や木の扉に入っています。
なんと、この安楽寺の説明には聖徳太子が開基となったと記されています。
岡山と呼ばれているこの地には関ヶ原の戦いで、徳川家康が着陣したとのこと。
ついに廃線!
レールが残っている廃線らしい廃線を見られるところはそんなに多くないのでは?
前方がJRの線路に繋がっている方向です。
前の写真を撮った踏切で、180度後ろを見たらこういう景色。
実はこの場所は10年くらい前に偶然見つけたことがあります(そのときも廃線でした)
いつか、また時間があるときに来るつもりが・・・そのまま忘れてしまっていたのです。
これが今回一番お気に入りの写真。
目立つゴミが写っていたので、Lightroomで消しました。
(どこだか、わかんないでしょ)
このような景色になぜ惹かれるのか・・・
言葉で説明するだけの能力がありません。
つづく。