親父の一番長い日 | 限界の向こう側へ飛んでいけ!

限界の向こう側へ飛んでいけ!

もうダメだ、そんな限界を超えた時に見えてくるものとは・・・

皆さん、こにゃにゃちは!


お元気ですか〜〜!




僕は元気に生きてます!


いやー、ブログ書くのいつ以来だ?


こんなに間を空けて書いて、誰か見に来てくれるのかな?


ま、いいやっと。


実は、前回の「おら秋田さいぐだ」シリーズを書いた後、色々とありました。


うちの両親(主に母)は、当初、秋田から関東の施設へ移ると決意はしたものの、その後何度も「やっぱり秋田で死にたい」と翻意。


でも秋田には家族も残っていないし、母の兄妹も、超高齢者ばかり。何かあっても、どうにもならない。


何度も何度も説得して、漸く決意を固めて貰って、関東の介護施設探し。


僕の兄弟は、東京、神奈川、埼玉と分かれてるのだけど、埼玉方面に父の兄弟がまとまっているので、その近辺で、2人が一緒に入れる施設を毎週のように出掛けて、良いところを探した。


でも、父には認知症と徘徊の問題があり、結局別々の施設に入らないといけないことになり、それぞれ別の施設を予約。


施設の契約と同時に引っ越しの準備を進めて、7月初旬のほぼ同時期に、2人を連れてくる手筈でいた。


ところが、引っ越し直前に、父が脳出血を発症して、ほぼ寝たきりに。


入院が長引きそうだったので、取り敢えず母だけ移動という事になった。


その後、母の生活が落ち着いた頃に、父の病状も落ち着いたので、改めて介護施設の手配となったのだが、幸か不幸か、父は脳卒中のお陰で徘徊が出来なくなり、それなら母の施設でも何とかなる、との事で、結局母と同じ施設に入居する事になった。


とはいえ、ほぼ寝たきりの高齢者の長距離移動ってそんなに楽な話じゃないのよね。


しかも、このコロナ禍。


秋田の病院を出る時には、僕は病院に入れず、現地の介護タクシーの人が病院から連れ出し。


介護タクシーに父と移動のサポートを依頼した看護師と共に、秋田駅に移動。


秋田駅から秋田新幹線の多目的室を予約して、寝たままで乗車して、大宮まで移動。


大宮からまた介護タクシーで介護施設まで移動。


合計6時間掛けて、何とか長い長い1日が終わり、無事に到着。


端折りましたけど、準備も含めて、頭がおかしくなるんじゃないか?っつーくらい大変でしたわよ。


とか何とかありましたが、こうして、10日ほど前に、無事に父の移動も完了。両親は同じ施設に落ち着きました。


ここの所、施設に1人で呆けが酷くなってきんじゃないの?と思われた母も、父が同じ施設に入ってからは、何かしっかりしてきた感じで、良い傾向。つか、母は、父が側にいないとダメなんだとさ。


秋田の実家が空き家になり、その管理もあって、中々気が抜けないんだけれども、まぁ、昨年から続いていた、我が家の難題も漸く一段落付きました。


さて、さて・・・


家庭内もコロナも落ち着いてきたからには、自分の事も色々と再開しないとね〜。




走るぞ〜!



多分。




おしまい