ハロー&グッバイ | 限界の向こう側へ飛んでいけ!

限界の向こう側へ飛んでいけ!

もうダメだ、そんな限界を超えた時に見えてくるものとは・・・



海外出張です。





ジ「ハロー」


初めて会ったのに、彼女は何のためらいもなく僕の隣の椅子に座った。手にはワイングラス、少し酔いが回っているようだ。


ジ「カズは休みの日には何をしているの?」


K「ランニング、かな」


ジ「貴方はランナー?」



今回の出張は、ミュンヘンに23日で滞在して現地のクライアントと打ち合わせ、その後はロンドンへ移動。


ロンドンでは会社の同期であり、現地駐在員でもある小室の自宅に45日でお世話になることになっていた。


そのお宅には、小室の娘さんの大学の友人であるジェニファーが新学期前の休みを利用して泊まりに来ていた。


日中は現地のクライアントとの打ち合わせ、食事会等をこなし、その後は、小室宅での反省会、というか、打ち上げが連日行われた。


その夜の宴には、小室の娘さんとその友人ジェニファーもいつの間にか加わっていた。


初めて会ったその日、ジェニファーは、何故か僕に絡んできた。


ジ「私も趣味で走ってるの。もう5年も。それなのに、中々フルマラソンで4時間を切れないのよ」


自己ベストは4時間2分だという。


K「それなら間違いなく4時間切れるよ。まだまだ若いんだし」


ジ「簡単に言わないで、私だって努力してるのよ」


ジェニファーのブロンドヘアとどこまでも深く碧い眼差しは、僕の心拍数を容易く上昇させた。



2人でカベルネソービニョンブランのボトルを2本空けた頃、僕もだいぶ酔いが回ってきたようだ。


K「君、誰か女優に似てるって言われない?誰だっけな・・」


ジ「いまだかつてそんな事言われたことないわよ。日本人からすればみんな同じに見えちゃうのかしら」


酔った勢いとは言え、余計な事を言っちゃって、少し後悔。


いや、でも・・・。


ジ「明日の朝は走る?良かったらご一緒させて」



出張で遠くに来た時に、地元を走るのは、ランナーとしてのマナーとでもいうべきだろう。


初めて訪れた場所、仕事だけでは中々馴染めないもの。


ましてや、海外慣れしてない僕は、小さなグロッサリーショップで水を買うのさえ躊躇われるものだ。


それでも、ひとたび朝ランをすれば、不思議とその街に溶け込んだような錯覚に陥る。


ミュンヘンでは、朝ランをした途端に、水を手に入れるのさえ躊躇われた通りのベーカリーで、クロワッサンとエスプレッソを頼めたりした。





5時半、少し酔いが残る身体を奮い立たせ、ランの準備をした。


ジェニファーは僕よりも早く起きていて、僕を待っていた。


ロンドンの中心から5kmほど離れた場所にあるパートナーの住処から、まだ薄暗闇の住宅街を抜け、テムズ川に2人で向かった。


ランニングパンツからしなやかに伸びる脚を軽やかに運ぶジェニファーのフォームはとても綺麗だった。


ジ「私の何がいけない?」


K「悪いとこなんてどこにもないよ。君のフォームは完璧だ」


ジ「嘘言わないで。いつも35km過ぎで失速するの。そこからどうやれば粘れるのかを知りたいの」


35kmから苦しくなるのはみんな・・・


そう言おうかと思ったが、それでは答えにならない。


K「『ガマン』かな」


ジ「『GAMAN』?何よそれ?」


日本語で「ガマン」と言ったのだけど、英語で「我慢」ってどう言うんだっけ?と少し逡巡したが、直ぐに言い直すことにした。


KYou have to...


ジ「I have to?


そう言いかけたとこで、僕らは古い街並みの細い路地を抜けて、テムズ川のほとりに出た。




KWow! Thats Tower Bridge!


朝焼けに染まるタワープリッジを目の当たりにして大袈裟に驚く僕を見てジェニファーが吹き出した。


ジ「あと5km走ればビッグベンもあるわ。今は工事中だけどね」




ジ「ここを曲がれば大英博物館があるわ」


そんな彼女の簡単なガイドを聞きながら、僕たちは、ロンドンアイの下を通ってビッグベンまで走り、そこからは近道を通ってパートナー宅まで戻った。


今回の出張に向けて、長いこと準備を重ねてきたつもりだったが、終わってしまえば、あっという間に時は過ぎた。


ジェニファーとは2日目、3日目も朝ランをした。


打ち合わせの時間は概ね10時からだったので、15-20kmは走ることになった。


日本では真面目に走ってなかったのに、ここに来てこのモチベーション(苦笑)。


4日の夜、最後のディナーを皆で囲んだ。


ランチのフィッシュ&チップスも良いけれど、パートナーの奥さんの作る料理はまた格別だった。


伝統のローストビーフに、鰹の出汁と、ビネガーの効いたスープ、ヒジキと鰹節が乗ったカルボナーラ・・・




どこからこんな発想が・・・という料理ではあったけれど、どれも絶妙なバランスを保っていた。


ジェニファーはまた僕に絡んできた。


ジ「東京マラソン出たいな」


K「いつでもおいでよ。海外参加枠があるはずだから、申し込めば出られると思うよ、日本人は10倍以上の倍率から出場権を獲得するのは難しいけどね」


ジ「カズに一緒に走ってもらってサブ4をサポートして欲しいわ」


K「僕はもう1回走ってるから満足。だから応募はしないよ」


ジ「なによそれ」


ジェニファーは、両手を広げて天に向けガッカリしたような素振りを見せた。


ジ「そういえば・・」


K「なに?」


ジ「初めて一緒に走った時、何かを言いかけたわよね・・何だったかな、そう『You have to…』何とか・・」


K「あぁ、確かにそれ、言いかけたね」


ジ「その先を教えて」


K「それは・・・」


僕が言いかけたその時、突然、部屋の照明が落とされた。


一瞬の静寂の後、クラッカーが鳴った。


『ハッピーバースデー!」


あぁ、そうだった、919日は僕の誕生日。


ケーキが運ばれて、ロウソクの灯りを消した。


ケーキを食べた後、会はお開きになった。


翌朝、ヒースロー空港に移動するため、9時過ぎにはお世話になった小室宅を出発しなければならなかった。


帰国準備のため、最後の日の朝は朝ランは無し。


その代わり、ジェニファーと近くの公園を散歩。


沢山のランナーともすれ違った。


カルガモの行列が公園の池から隣の川に移動していた。車が優しく止まり、通り過ぎるのを静かに待っていた。




ロンドンの人達は優しくて力強い。


荷物を車に乗せて、いよいよ小室宅を出発する事になった。


ジ「カズ、ちょっと待って。サブ4のために必要な事、まだ聞いてないわ」


K「あぁ、それは『自分を信じる事」だよ」


ジ「『…believe myself』?


一瞬戸惑う顔を見せた後、ジェニファーはクスっと笑った。


ジ「分かったわ、必ず次の東京マラソンで達成する、だから応援に来てね」


そう話して、僕の頬に軽くキスをした。


空港に降り立ち、ヒースロー空港を後にする。


僕もまた走りだそう。



グッバイ、ロンドン!













なんて事が起きないかなと思った出張でしたが、そんな事有るわけもないですわね。



それではみなさん御機嫌よう。


*今回の記事は、80%フィクションです。