自分の人生が閉ざされたと感じたこと。
具体的には、仕事。
保育園に入園することになって、本格的に仕事復帰できる!と思っていたら、現実は甘くはなかった。
病院の診察に療育。
これらは平日のみ。しかも、遅い時間はやっていない。
さらに、一番悲しかったのが、カカロットは手が出てしまったり、パニックを起こしたりするので加配が必要。
なので、職員数が少なくなる時間はみてもらえない。
短時間保育で入園したけれど、それよりも更に短い時間だけ。
規程時間よりも短い時間しか使えないなんて、これって問題なんじゃないの?と思った。
入園料も払ってるわけだし、公立の保育園だし、どうして私だけ?
もちろん、延長保育なんて使えない。
早い時間に迎えに来るよう言われたのは、年少の担任の先生から。
「カカロット君がかわいそうなので」という理由でだった。
おそらく、園長に直談判すれば規程の短時間保育内ならみてもらえたと思う。
延長保育もできたと思う。
でも、「子供がかわいそう」と言われたら、もう何も言えない。
確かに、その頃のカカロットは本当に酷くて、ちょっと目を離すと友達とトラブルを起こしていたし、噛みつき癖があった。
だから、加配がない状態で彼を野放しにするなんて危険すぎてできなかった。
どうして私だけ?
という気持ちはあったけど、仕方ないことだと思って諦めた。
そして、年中になり、少し落ち着いてきて、カカロット専属の加配がなくなった。
だから、契約の短時間内ならみてもらえると思って、思いきって担任に交渉してみた。(担任は年少からの持ち上がり)
でも、結果は駄目だった。
まだ荒れているから、この状態で異年齢の子たちと合同保育は、カカロット君の負担になる。
というのが理由だった。
先生は、悪くない。
カカロットの現状をみれば、きっとその判断は正しい。
周りの迷惑にもなるし、何よりカカロットが混乱してパニックになるかもしれない。
でも、悲しかった。
カカロットより障害が重い、ダウン症の子は短時間保育どころか通常保育時間も延長保育も利用できる。
カカロットより知的障害重度の子も利用できる。
彼らは大人しくて、他児に危害を与えないからだ。
障害の重さが重要なんじゃない。
集団で迷惑をかけずに生活できるのか。
それが一番、大切なのだ。
年中でも早く迎えに行かなければいけなかった私は、当然仕事はできない。
飲食店とかコンビニとかスーパーとか、短時間でOKなところでなら働けるけれど、小額のお金のために働きたいとは思えなかった。
私は、障害児ママとしてしか生きられないのだと思った。
やりがいのある仕事、やりたい仕事。
私は選ぶことができないのだと思った。
ずっと、底辺でい続けなきゃいけない。
どこにいっても白い目で見られる。
乱暴な子は、どこにいったって敬遠される。
保育園でも療育先でも、どこにいっても居場所がない。
愛情かけて優しく育てれば、躾がなっていないからだと言われ、
厳しく接すれば、愛情が足りないからだと言われ。
どんなに頑張っても、認められることはなく、謝り続け、永遠に報われない。
せめて、発達障害児ママではない、別の居場所が欲しかった。
自分が輝ける場所、頑張りが認めてもらえる場所、やりがい、生きがい。
発達障害児ママではない肩書が欲しかった。
でも、社会はそれを許してくれない。
私は自分の人生を生きてはいけないんだと絶望した。
それが、一年前。
今は担任の先生が変わって、短時間保育どころか通常保育も延長保育も使える。
でも、病院通いはしなくてはいけないので、フルタイムで働くことはできない。
今後、どうなるかも分からない。
不登校になるかもしれないし、学童で問題を起こして学童には通えなくなるかもしれない。
結局私は、やりたい仕事を諦めて、障害児ママとして一生を終えるのかもしれない。
障害児ママは仕事ができない。
これが、現実。