新橋演舞場、浅草公会堂、千穐楽に想う | ふうせんのブログ

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小林蕗子のブログです。2013年5月に始めたときはプロフィールに本名を明示していましたが、消えてしまいましたので、ここに表示します。。
主に歌舞伎や本のことなどを、自分のメモ的に発信したいなあって思っています。よろしく!!

新橋演舞場【初春歌舞伎公演『平家女護嶋(へいけにょごのしま)』恩愛麻絲央源平(おやこのきずななかもげんぺい)――SANEMORI PARTII――】

25日千穐楽、おめでとうございました。

新春浅草歌舞伎

26日千穐楽、おめでとうございました。

コロナ禍の前でしたら、東京で公演される歌舞伎はコンプリートに観ていましたし、ときには大阪、名古屋、博多、こんぴら、八千代座にも遠征していましたが、今年のお正月は新橋演舞場と浅草公会堂だけでした。
【新橋演舞場の『平家女護嶋』、

悲劇の中にある祝祭性の追究】
新橋演舞場については、3回にわたってブログを書きました。
私にとっての歌舞伎「推し」は成田屋。
当代團十郎は、海老蔵時代から、バッシングされたり、自ら危険なことに身をさらしたり、悲劇的な宿命にみまわれたり、いろんなことがありましたけれど……。

ある意味ではだからこそ、歌舞伎十八番を中心に、祝祭性のある古典歌舞伎を演じたら、神々しいまでの力強さで、第一人者と言えます。
もちろん成田屋のお家芸だけが歌舞伎ではありません。
けれども、歌舞伎にしろ、文楽にしろ、能にしろ、あるいはクラシック音楽、オペラ、ミュージカル、どの分野にも中心核が必要で、歌舞伎の場合は、市川宗家・成田屋、歌舞伎十八番、新歌舞伎十八番。
その中核があるからこそ、どんな新作でも歌舞伎役者が演じれば歌舞伎として大きく広げられるのだと、思っています。

今月の『俊寛』を中心にした團十郎の舞台も、悲劇の中にある祝祭性を追究するものとして、私の心に深く残りました。

そのうえで、今の私の関心事は、古典歌舞伎が若い役者たちの間でどんなふうに定着しているのか、ということです。
そこで新年は、新春浅草歌舞伎と新橋演舞場の初春歌舞伎公演をみにいきました。
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【新春浅草歌舞伎は清々しくて一所懸命なのが心地よい】
新春浅草歌舞伎は、第二部は劇場で観て、第一部は今日【1/26(金)千穐楽公演 生配信決定のお知らせ】

こちらで観ました。

なお、1/26(金)千穐楽公演 生配信は、1月27日~2月4日まで【見逃し配信】もあります。上のサイトにご案内があります。

演目はすべて古典、時代物、世話物、舞踊の基本中の基本。
若い人の舞台は、声が大きくて観客にしっかり届いて、所作もメリハりが効いて、清々しくて一所懸命なのが心地よいわね。

特にリーダー格の尾上松也が軍を抜いている。
それは自主公演『挑む』をはじめ、様々な舞台に挑戦し、舞台の真ん中に立つ経験を積み重ねてきた結果です。
そのことについては、私のブログ
【私が期待する尾上松也】2023-08-28

で書きましたので、繰り返しません。
今回の浅草『魚屋宗五郎』は凄かった!!
ともかく師匠・尾上菊五郎の芝居をしっかり観てきたことがよくわかります。情が濃いのです。
菊五郎の情の濃さについては、私のブログ
【寺島しのぶさんと、まほろくん。&『魚屋宗五郎』】2017-05-06

で書きました。
そのうえで、菊五郎の芝居より元気がいい!!
それは、菊五郎のマネではなく、松也自身の宗五郎になっているからなのね。
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今日観た第一部の生配信も、みんな良かったのだけれど、

特に注目して観たのは、中村隼人の切られ与三郎。
1月2日のNHKの放送で少しだけ観た『与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)』「源氏店」。
テレビで観た時も、片岡仁左衛門の雰囲気、情の深い声、倍音が潜む味わいが心地よく伝わったので、これは観たいと思ったのです。
さらに、プログラムに書かれていることで納得したのは、今回仁左衛門に習ったということですが、その前に、去年4月歌舞伎座の仁左衛門の与三郎をしっかり見ているですよね。
今日観た隼人の与三郎、2日のテレビ放送よりもずっと自分のものになっていて、とっても良かった。
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まだまだ書きたいけれど、寝る時間がきましたので、ここでとりあえず終わります。

今日も充実した1日でした。おやすみなさい。

※ なお、敬称についてですが、プロの芸術家や文筆家の方は広い意味での公人ですので、舞台そのものや作品について記す時は、私は敬称を付けません。昔からの慣例です。プライベートな内容と思われる時は「さん」の敬称を付けます。よろしくご了承ください。