歌舞伎座、玉三郎と一緒に息を詰める「吉野川」 | ふうせんのブログ

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小林蕗子のブログです。2013年5月に始めたときはプロフィールに本名を明示していましたが、消えてしまいましたので、ここに表示します。。
主に歌舞伎や本のことなどを、自分のメモ的に発信したいなあって思っています。よろしく!!

9月21日、歌舞伎座・夜の部に行きました。

「歌舞伎座・夜の部『吉野川』、玉三郎の定高は必見です」と、二度にわたって書いてきました。
私の期待は、ものすごく大きく膨らんでいました。

その期待通り、いや、それ以上に、素晴らしい玉三郎の定高!!
玉三郎の声が、人の世の宿業を超越して、歌舞伎座を支配する。
私の眼は、涙腺さえもが働きを止め、玉三郎の一挙手一投足に吸い込まれていく。
玉三郎の細やかな所作から、心の動き、深い想いが放たれ、歌舞伎座は静謐な空気に包まれる。

『妹背山婦女庭訓』〈吉野川〉の配役は、
太宰後室定高=坂東玉三郎
その娘・雛鳥=尾上菊之助
大判事清澄 =中村吉右衛門
その子息・久我之助=市川染五郎

ストーリーなどについては、特に書きません。
9月7日のブログ【9月歌舞伎座『吉野川』】のところで紹介したように、
ストーリーは、こちらのサイト、三段目をご覧ください。
http://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/contents/learn/exp4/index.jsp

文楽の床本はこちらのサイトの28頁から、「妹山背山の段」です。
http://homepage2.nifty.com/hachisuke/yukahon/imoseyama.pdf


玉三郎は、筋書の「花競木挽賑」の中で述べています。
「夜の部、『吉野川』の定高は女方屈指の大役。…」と。

昨年の『伽羅先代萩』の乳人・政岡も、たいへんな役で、あの時の深い感動は忘れることは出来ません。
今年の『吉野川』の定高は、太宰の家を後室として守る立場と、雛鳥の母としての立場の両面を表現。
立派さや強さを前面に出しながら、哀しさを胸の奥にぐっと秘めて…、

歌舞伎の中で、母親が自ら刀を手にして、最愛の娘の首をとる、そういう話はほかにないですよね。
政岡とは異なり、定高は、舞台では、けっして泣きません。
それでも、その悲しみは、しんしんと伝わります。

これはほんとにたいへんな役。

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ここまで書いたのが、22日。この日は美容院で髪の手入れもしました。
23日は、新宿文化センターで、中村雀右衛門襲名披露の巡業公演に行きました。
そのほか、家事に時間ばかりかかって、ともかく、異常なくらいの疲労感。
今日24日は、中川が京橋のフィルムセンター(国立近代美術館の別館)で、「《角川映画》が日本の映画をどう変容させたか」、という講演をしたのだけれど、聴きに行く気力もなく…
そういう日々
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『妹背山婦女庭訓』〈吉野川〉、大化の改新という壮大な歴史的背景、満開の桜の花と吉野川の清流がみごとな舞台を背景に。
絶対権力を狙う蘇我入鹿の犠牲となって、雛鳥と久我之助が命を落とす物語。
哀しいけれど、救われるのは、二人の死が、親の忠義のためではなく、
むしろ、入鹿の命令に背き、親の立場を顧みることもせず、
操を守る(今風に言えば、純愛を貫く)雛鳥と、朝廷を守る久我之助の、当人の意思が貫かれた物語だったこと。

ほんとうは、玉三郎のことだけではなく、菊之助、吉右衛門、染五郎、中村梅枝(腰元桔梗)、中村萬太郎(腰元小菊)についても書きたかったけれど、書けませんでした。

やっぱりこの舞台は、玉三郎の緊迫する存在があってこその緊張感、そして吉野川の清流に似た清浄な空気に満たされる、忘れ得ぬ舞台になったと思います。

私の頭の中は、玉三郎のことでいっぱい。
この10年余、遅ればせながら、玉三郎に何とか間に合って、様々に観てきた舞台の数々が思い起こされて、とりとめもなく、時間が経過するばかり。

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ただ、夜の部『らくだ』について、言えば、染五郎も松緑も、修業が足りない。
観客の笑い声があったから、良かったとも言えるけれど、…、
観客が一番笑っていたのは、大家さん(中村歌六)の家に行って、死人のらくださん(坂東亀寿)の所作が可笑しかったあたりでした。
この噺は、紙屑買久六(染五郎)と手斧目半次(松緑)の話芸で笑わせるもの。
あるいは、強面の半次と、気弱な久六、そして逆転する後半、もっとメリハリがないとねー…。
その藝と話術の深さの中で、〈らくださん〉の人物も浮かび上がってくるんですよね。
死人のらくださんがあんなに活躍して、笑いを取らなければならないなんて、噺になりません。
染五郎も松緑も、寄席にかよって、話芸、間の取り方、江戸言葉のリズム、それを会得してから、演じて下さい。
落語家さんにとっては、これを高座にかけるのは、相当の覚悟のいる噺なんですよね。
歌舞伎役者も、覚悟して舞台にあがってください。

それに、これ以上はないほど静謐な『吉野川』の久我之助の直後で、手斧目半次を演ずる神経が、私には分かりません。

私としては、今回の座組ならば、坂東亀三郎と亀寿の兄弟のを観たかったなぁー。
この兄弟は、いま凄く研究熱心だし、セリフ回しもうまい。もっと骨のある役をやらせてもらえるといいのになぁー。

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わぁー、たいへんだー! 上の部分、公開するかどうか、悩んでいたら、遅くなっちゃったー
でも、やっばり、今回は言いたかった。
おやすみなさい。

※ なお、敬称についてですが、プロの芸術家や文筆家の方は広い意味での公人ですので、舞台そのものや作品について記す時は、私は敬称を付けません。昔からの慣例です。プライベートな内容と思われる時は「さん」の敬称を付けます。よろしくご了承ください。