東大寺二月堂の修二会(しゅにえ) | ふうせんのブログ

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小林蕗子のブログです。2013年5月に始めたときはプロフィールに本名を明示していましたが、消えてしまいましたので、ここに表示します。。
主に歌舞伎や本のことなどを、自分のメモ的に発信したいなあって思っています。よろしく!!

3月13日、歌舞伎座・昼の部『菅原伝授手習鑑』の前半を観て、4時半には新幹線で京都、京都から近鉄で奈良と向かいました。

今回の目的は、東大寺二月堂の修二会、一般的には『お水とり』とか『お松明』で知られる行事ですね、これを拝見すること。

『お水とり』は3月12日に終わってしまったのですが、修二会は3月1日から14日まで続き、15日には満行となります。
もともとは旧暦の2月に行われていたので修二会と言います。
(修二会で検索すると、東大寺のことばかりが項目として出てきますが、修正会は正月、修二会は2月の行事として、他のお寺でも催される仏教行事です。また最近は「声明の会」などが国立劇場やコンサートホールで開催されますが、主に修正会や修二会の声明が多いようです。私の経験では、劇場での声明は眠くなるばかりですから、やはりお寺の行事に参加することをお勧めします)
二月堂の修二会について詳しく知りたい方は、こちらへ


3月14日は朝から奈良公園を歩いて、国立博物館の地下のミュージアムショップで、『お水とり』関連の書籍などを購入。
博物館では『お水とり』の展示もあったのですが、それは見ないで「図録」だけを購入。
東大寺の西に位置する手向山八幡へ。
ここは、二月堂、三月堂の南隣りに位置するのですが、お参りする人は少ないようです。
まずここに行ったのは、『菅原伝授手習鑑』にちなんで、菅原道真公の歌碑があるからです。
百人一首でおなじみの
〈このたびは 幣もとりあえず 手向山 紅葉のにしき 神のまにまに〉
この八幡様は、「東大寺大仏建立のため、九州豊前国(大分県)宇佐八幡宮より東大寺守譲の神としてむかえ、まつられました」という由緒のある八幡宮なのですが、ほとんど修復などの手入れがされないまま、昔のままの神楽殿などかあって、鄙びた風情があります。

手向山八幡から二月堂へはすぐ。
本によると、この14日間はずっと練行衆(れんぎょうしゅう)の僧侶による修二会のお勤めがなされているのですが、
私が観たいのは、夕方6時半からの『お松明』とそれに続く声明、最後は夜中の11時から0時まで続く本行と「韃靼(だったん)」。
そのために必要な予備知識をえるために、昼間のうちに出向いたのです。
幸いなことに、地元の詳しい方に案内されて、要領が分かりました。
「東京から来て、お松明だけではなく、最後まで参加する」ということで、感激されて、
いっしょに行った中川は男性なので、黄色いリボンが貰えました。これを着けているとお堂の中に入れます。といっても、行をおこなう場とは格子で仕切られています。
女人禁制なので、女性の私は、さらに格子で隔てられた局(つぼね)というところに入ることができるということでした。

ともかく、夕方までに身体を休めるため、いったんホテルに戻って、
さらに5時半に二月堂に到着。すでに『お松明』を観るために集まった団体旅行の人たちがいっぱい!!
6時半、あたりは暗くなって、いよいよ『お松明』。これはテレビでも度々放映されるので有名ですよね。
2メートルほどの大きな松明に先導されて、練行衆がお堂に入ります。
二月堂は清水寺と同じように崖の上にあって、舞台がありますから、その舞台で松明が荒々しく振りかざされます。
真っ赤に燃えた杉の枝葉が落下していく様は、美しいショーともいえます。
(案内には、「これはショーではありませんので、拍手はされませんように」の注意書きがありますが)

『お松明』が済めば、観光客のほとんどは退散します。
その間、境内の茶店(東大寺直営ということ)で天ぷらうどんをいただいて、やっと二月堂に近付くことができました。
リボンを付けた中川も結局、私と同じ局(つぼね)で、12時=15日の0時まで付き合ってくれました。
中川は宗教行事は大嫌いなはずなのに…、

燈明の灯りのもとで、法会が進められていきます。
声明で分かるのは『般若心教』だけ。「般若波羅蜜多…」とつづきますから…
何人かの法螺貝が、音程もさまざまに吹き鳴らされ、ほとんどコンテンポラリー音楽。
低音部の法螺貝と、高音部の法螺貝の掛け合いがあったり…、
鈴の音、鳴子のような音も重なって…、
練行衆は下駄のようなものを履いているのか…、床を打ち鳴らす音が静寂を突き破ります。

大導師(だいどうし)の方の声でしょうか。一人で先導されるような声明では、まるでオペラのバリトンのような美声。
全員での唱和の旋律が、重厚なものというより、わらべ歌や数え歌のような、明るい単純明快なもで、原初的な音楽を思わせます。
『走り』というものでしようか、全員が仏壇のまわりを、下駄の音も高く駆け回り…、
あるいは一人の僧侶が、床を踏み鳴らし、3か所で火を司る様子。

最後は、待ちに待った『韃靼(だったん)』。期待したのは、ここでも松明の火が荒々しく堂内をうねる様子だったのですが、さすがに木造の堂内ですから…、それでも1本の松明が動く様子。
ともかく離れた場所で、しかも北側のほんの一角ですから、ほとんど見えません。ひたすら声や音を聴くばかり。
それでも、まったく眠気が起きません。
当然暖房なんかありませんから、澄みわたる空気に、特段の緊張もなく、あるがままで、5時間が過ぎました。

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私が、今回の『お水取り』=修二会を拝見する目的は、不謹慎ながら、音楽的な興味からでした。
けれども、ここに参加するうちに、原初的な「祈り」の境地を呼び覚まされました。
4年前の3月11日からの数日、東日本大震災、福島原発事故の惨状を、「祈り」の心境でただ見守るしかなかったことを、再び思い出していました。

二月堂の修二会は、「修二会が創始された古代では、それは国家や万民のためになされる宗教行事を意味した。天災や疫病や反乱は国家の病気と考えられ、そうした病気を取り除いて、鎮護国家、天下泰安、風雨順時、五穀豊穣、万民快楽など、人々の幸福を願う行事とされた」ということ。
現在は、「修二会の正式名称は「十一面悔過(じゅういちめんけか)」と言う。十一面悔過とは、われわれが日常に犯しているさまざまな過ちを、二月堂の本尊である十一面観世音菩薩の宝前で、懺悔(さんげ)することを意味する」ということ。

まだまだ、歌舞伎舞踊の『韃靼(だったん)』のことなど、書きたいのですが、いずれまた…。

奈良から京都南座の花形歌舞伎へと向かいましたが、そのことも、歌舞伎座の『菅原伝授手習鑑』のことも後日に。