葬儀の「集客対策」ストリップショー、禁止へ - 中国
http://www.afpbb.com/article/823022
◆中国の文化
中国で葬儀の際、参列者を集めるためにストリップショーを行うという習慣があるのは知っていた。もともとは人を集めて賑やかに故人を送ってやろうという気持ちから始まったのだろう。エロは客を呼べるのだ。それは日本でも中国でも変わらない。もちろん日本でこのようなイベントを行ったらかなりの批判を浴びるはずだ。日本の葬儀は、故人を偲びながらしめやかに行うことが通例になっている。しかし、だからといって、日本人が中国の葬儀についてとやかく言うのはお門違いだと思う。善悪の問題ではない。それが中国の文化であるからだ。
◆文化は尊重すべき
そういう催しに是非を唱える権利を持つのは中国人だけである。例えば、クジラの問題。日本人はクジラを食べる。環境、風土がそういう文化を作ってきた。それが世界的に批判された時、日本人はどう思ったか。我々の文化を否定されたように感じたはずだ。クジラを食う、食わないは日本人が主体的に決めるべきであって、他国の人に強制されるべきものではない。もちろん、それが文化だからといって獲り放題、食い放題でいいということではない。熟考した上で、日本人によって決められなければならないということである。それは誤解のないよう願う。
◆モラルの欠如
近年の日本の社会はモラルが崩壊していると盛んにいわれている。昨今のホストブーム(特に歌舞伎町)のような異常な現象を間近に目にしていると、至極納得させられる。世間のムードに流され、その影響下のもとで自分の行動を決めている人が大多数なのだ。これは若者に限ったことではない。いい歳をした“大人”も同様である。何が良くて何が悪いか? モラルとは辞書によると、道徳、倫理、人生・社会に対する精神的態度のこと。要は真面目にということだが、もちろんここで言う真面目とは、酒も飲まず、遊びもしないで働くとか、勉強するということではない。しっかりと自分と向き合い、自分が生きる理由を見つけ、真摯な態度で生きることである。
◆主体的に生きることとは?
主体的に生きるということは、勝手になんでもしていいということではない。自由に生きるということもまたしかり。そこには義務や責任が付帯する。「迷惑をかけなければ何をやってもいい」などという戯言をよく聞くが、その迷惑は誰が決めるのか。独りよがりに自分で決めているのではないか。自分やその置かれている状況を客観視し、精査し、その上での結論なら文句は言わない。しかし、そうじゃない場合が圧倒的に多い。おいしい話の裏にはリスクがある。権利には義務が伴う。極論すれば、主体的に、あるいは自由に生きるためには資格がいるのだ。義務や責任を果たし、恥ずかしくない自分を作り上げてこそ、その資格を得られるのだと思う。