旅空 ~そらとあおいの世界大冒険~

2015.4/6 インドデリースラム編

 

 

ナマステ~

4/6夕方にはデリーからバラナシ行の寝台に乗る日に、

デリー郊外のスラム街に行ってきました。

インドの平均日給は250ルピー(500円)2015.4現在

 

きっとそれよりももっと少ない給料の人達が

ゴミだらけハエだらけの中にひしめく様に住んでいました。

 

 

 

行く前はもっとネガティブな人々のイメージがありましたが、

現地ではカメラで僕を撮ってくれと子ども達がたくさん寄ってきました。

 

写真のとおり、笑顔の笑度が眩しすぎました。

 

 

 

 

 

日本の子供の笑顔を100とするとインドのスラムの子供達は1000ありました。

人・物・金・環境はそらとあおいや日本人の方が持っていると思うが笑顔の笑度では大敗。

 

子供達が悪いのではなくインド人含め、同じ親として「与える事と育てる事」のバランス、

「無から有を創る」重要性、「子育ての本質」とは!?など、深く考えさせられました。

 

 

他にある美しい景色を探すのではなく、

「今ある景色から美しい物を探す」のがスラムの子供達は天才的なのだと感じました。

なので環境に悲観する事無く、あんなにも素晴らしい笑顔を出せるのだと思います。

 

日本で観たテレビ番組 沢木耕太郎の「深夜特急」のバラナシ編で、

俳優の大沢たかおがの物売り子供に

「将来何になりたいんだ?」と聞いたのに対し、

「そんなの分からないよ。今日を楽しく生きられればいいんだ」

と答えていたが、それが本質のような気がした。

 

 

 

幸せとはなるものではなく感じるもの。

未来にあるものではなく今日創り上げるもの。

 

過去と未来は繋がっていない。

過去が現在を作っている。

現在が未来を創っている。

 

自分の人生の中で「今日という日」は、

今までで一番経験値がある日であり、未来に対し一番若い日である。

一番大切なのは過去でも未来でもなく、

今・現在という「今日という日」なのだという事を

スラムの子供達に痛いほど教えられた気がする。

 

 

このハエとゴミだらけの家や環境でも、

「毎日を素敵な笑顔でキラキラ生きる事」が出来るんだと教えられた。

 

家族4人で世界旅に出て色々な国の価値観に触れたことで、

仕事がなくても生きていける、スラムのような環境でも、

考え方ひとつで最高な笑顔で生きていけると

身をもって体感出来た事は、今後の俺の大きな財産だ。

 

 

インドは広く深い。大陸も人間も本当にそう感じる。

この国は特別な国で、

100人インドに行ったら100人のインドという国がある。

 

俺には俺のインドがある。

それは俺が創り出した鏡なのかもしれない。

 

 

インド深いです。

そらとあおいも心の深い真ん中でインドを感じ、自分のインドを育てていって欲しいと願います。

そらとあおいの冒険は続く・・

 

 ※そらはインドの子供たちにもみくちゃにされていたのでムキになっている写真(笑)

 

 

<スタッフ編集後記>

 

「将来何になりたいんだ?」との問いかけに

「そんなの分からないよ。今日を楽しく生きられればいいんだ」

 と答えていたのが本質のような気がした。

 

~社長の手記本文より~

 

 

インドの子どもの答えに、はっとさせられました。

インドという国での教育はこれが軸になっているのでしょうか。

 

 

日本ではどうでしょう。

「今日という日のために。」というよりもきっと

「将来のために」が背景にある教育がほとんどですよね。

 

 

もちろん環境が違うということなのでしょうが

環境やお国が違えど、

人の一生の流れというのは変わらない。

 

 

誰しも、最終的には、死にます。それ以外にない。

そしてその死はいつ訪れるかなんて、

誰にもわかりません。

 

 

 

将来を見据えた”今”というのも、今の日本のシステムでは必要だと思います。

誰もが確かな未来なんて解からない、

不安な時代ですから。

 

 

 

ただ生きている間は少しでも幸せに、笑顔でいたい。

そのために、少しでも不安を和らげるために、人は未来を想定して ”今を生きる”

 

 

それはいいとして、もし、未来に意識を向けすぎて”今”をないがしろにしているとしたら

いつ来るかわからない最後を迎えた時、それは果たして

「幸せだった」と、「いい人生だった」と、笑って、満足して、死ねるでしょうか。

 

 

 

肩の力を抜いて、今を感じて、目の前の人と笑い合うことの方がよっぽど価値がありそうですね。

 

 

 

 

”人が生きる”ということは、どれだけ成功したか。お金を稼いだかではなく

ただ自分に正直に、幸せに生き、それらを人と分かち合えたか。

どれだけ心が満たされたか。に尽きるのかもしれません。

 

肉体がなくなって残るのは、想いだけですから。

生きた証は、人の想いに宿る。

そして想い出されるのは、その人が一番多くしていた表情でしょう。

それが笑顔だと、いいですね。

 

 

 

午後も素敵な時間をお過ごしください。