自称貧乏人。まだ貧困まではいってません。
貧困までいったら株なんかやってる場合じゃありませんから。
中学時代のバイトから遡ると人生の大半を人と接する仕事で様々な世界で生きる人と出会ってきました。
話は子供時代まで遡ります。
父は公務員・母は公社勤務、ほぼ公務員の共働きです。
今聞くと金持ちじゃないかと言われるかもしれませんが、当時公務員と言えば安月給の代名詞、時代はバブルに向かってまっしぐら、公務員になると言えば馬鹿にされる時代。
更に、クラスの半分は地元企業の経営者層か地元商店の経営者の子供、残りは工場労働者と公務員の子供達。
中流であっても下層。
大半の子が流行りの文具やおもちゃ、靴や洋服などを纏ってる中、一部の子は当然買ってもらえません。
あからさまに貧富の差を見せつけられて、親からもうちは貧乏だからと洗脳されては貧乏と思い込んでしまうのも仕方ない。
母の口癖は今でも「身の丈に合った暮らしをしなさい」です。
お題から話がだいぶ逸れましたが、対価を払わない人達っていうと最近テレビやネットニュース、ここのブログにも度々出てくる困った人達として良く登場しますよね。
クレクレ星人なんて言われる事もあるみたい。
何でもタダで求めてくる人や安いモノに価格以上の要求をしてくる人達。
こういう人って貧乏人に多い気がしますが、結構金持ちに存在するんですよ。
経験上、中途半端な金持ちの方がタチが悪い気がします。
この対価を払わない、対価を考えない人達って自分が考えるに、その人達は悪気はなく、「当たり前」の感覚ではないかと。
昔は、成功するまで努力をした事が無い人が、目に見えない苦労が解らないため起こる事と思ってました。
でも、仕事や生活で努力してる人にもあったり。
性格の問題かとも思いましたが、ちょっと違うような・・・。
そこで思ったのは「家庭の文化」、遺伝ではないですが、その家庭の文化ってあると思います。
結婚は家と家の結びつきという事で、結婚する前に相手の家族との関係が上手く出来るか慎重に考えました。
大きくは大丈夫と思ったんですが、結婚してみると「当たり前」の事が微妙に違うんです。
それを自分は「文化の違い」と思って今でも受け入れています。
ちょっと長くなったので、途中ですがまた今度。