◆◇◆MAMOR--防衛省オフィシャルマガジン◆◇◆
防衛省が編集協力しているからできる肉薄取材で、自衛隊の活動内容と自衛官の
素顔に迫るわが国唯一の「防衛省オフィシャルマガジン」(扶桑社・月刊)
URL: http://www.fusosha.co.jp/magazines/mamor/
昨年、2016年の『MAMOR2016年6月号』(扶桑社)は特集「英語力を装備する自衛隊」を組み、自衛隊における英語研修を詳しく紹介しました。それを受けて弊ブログでも――自衛隊内の英語研修には(残念ながら)関わったことは一切ないのですが、自衛隊からアメリカの大学院留学に派遣される皆さんの準備研修を数年間、ほぼ専属で担当した経験から――記事『防衛省Mag☆MAMOR:特集「英語力を装備する自衛隊」--英語好きにはお薦めだったりする(起)~(結)』をアップロードしました。
起)MAMORの紹介
承)自衛隊の英語研修の素描
転)自衛隊の英語研修の秀逸さの究明
結)日本の英語教育が自衛隊から学べることの提示
もっとも、その拙稿は、①自衛隊における英語研修が日本ではかなり成功をおさめているものだという認識に立った上で、②その高いパフォーマンスの理由と背景の描写、③他の日本の英語研修のシャビーなパフォーマンスの原因と背景の措定、そして、④他の日本の英語研修――就中、中等の公教育における英語教育――のパフォーマンスを自衛隊における英語研修のそれ並みに改善するためには何が肝要か、換言すれば、例えば、日本の公立高校の英語教育は自衛隊から何を学ぶことができるのだろうかを巡る考察。というものであり、自衛隊における英語研修自体にフォーカスしたものではありませんでした。
而して、今年の今月号『MAMOR2017年9月号』に格好の素材が掲載されていた。前稿の理路を――より自衛隊に引き付けた上で――敷衍するための好個の材料が、しかも、KABUの大好きな「ちーぱか・すっぴんインタビュー」(ibid, pp.42-46)のコーナーに❗ これは「番外編」書くしかない、鴨❗ ということで、ここまでがイントロで、以下、本記事の内容に入ります。蓋し、ポイントは次のセンテンス(ibid, p.46)の意味の究明になるのでしょうか。
>あくまでも英語は
>コミュニケーションの手段
>でしかないんですよね
で、ところで、なになに、
その「ちーぱか・すっぴんインタビュー」て何ですか、ですって?
はい、それはですね。
▽女性自警官の素顔に迫る!--ちーぱか・すっぴんインタビュー
(マンが/文章 ちーぱか)
全自衛官の6パーセントにも満たない、約1万3000人の女性自衛官。”男社会”の中で働く彼女たちには、人知れない苦労や悩みがあるはず。そこで、制服に隠された女性自衛官の本音を探るべく、われらが秘密兵器”ちーぱか”が、さまざまな階級、職種の女性自衛官を訪ね、その心の内に迫ります!
而して、本号『MAMOR2017年9月号』の「ちーぱか・すっぴんインタビュー」のインタビューイーは、拙稿本編記事の素になった『MAMOR2016年6月号』の特集でも「取材の主戦場」になった、陸上自衛隊小平学校で通訳者育成担当の英語教官をされている宇都順子3等陸佐。英語が得意で大好き好きな高校生の宇都陸佐は、自衛隊の国際貢献によって他国からの好感度と信頼度を日本国が高めることに自らも尽くしたい、という志望理由で防衛大学校に進学。
防大卒業後(➡幹部候補生学校卒業後)は、(4)現職に至るまで、(1)陸上自衛隊北部方面通信群で動画通信の実務と臨時の通訳業務を、(2)陸上自衛隊小平学校でシステム教育の教官と通訳業務を担う。(3)その後配属された防衛省統合幕僚監部渉外班では、国内国外の双方で、自衛隊の最高級幹部と諸外国の軍トップクラスおよびその配偶者等との交流の裏方切り盛り実務と通訳業務を担当されたとのこと。
うみゅ、もふもふ。正に、小粒かもしれないけど自衛隊の宝みたいな方、鴨。そう、宇都陸佐って、AKB48におけるまゆゆ(渡辺麻友)さんみたいな方だなぁー、と思いました。
実際、企業でも役所でも、まして、軍隊ではそのトップクラス担当の通訳やスケジュール管理の担当者は――英語ができる人は間違いなく当該ポジションについて1ダースとは言わないけれど半ダース前後はいるものですし――、語学力だけでは選ばれないものね、普通。渡辺麻友(まゆゆ)に、もし、抜きん出た技量と他のメンバーから信頼される人となりの双方が揃っていなかったとすれば、あの「AKB48の不動のセンター:AKBグループの絶対的エース」前田敦子の正統な後継者になれたとは思えないから。
⬆ ⬆ ⬆
▽抜き打ち確認テスト!
「まゆゆに、もし、抜きん出た技量と他のメンバーから信頼される人となりの双方が揃っていなかったとすれば、前田敦子の正統な後継者になれたとは思えない」を仮定法構文(条件節―帰結節)を用いて英訳するとき、帰結節の述語動詞の法形態はどうなるでしょう? 仮定法過去、仮定法過去完了、それとも・・・。
――解答:何を問われたのか、その論点自体はわかりましたか? 蓋し、(a)あなたがその英訳作業をまゆゆが卒業する2017年の年末までに行うのか、それともまゆゆがAKB48を卒業した後の2018年以降に行うのか、更には、(b)英訳する際にあなたが「be, become, inherit, put onself, succeed to, take over, take, get, hold, remain, allow, give, make, permit, put, grant, yield, elect, select, appoint, name, reign, enthrone・・・」のように(自動詞または他動詞、就中、動作動詞である他動詞か否かとかいう点で)、どの動詞を帰結節の述語動詞としてチョイスするかによって正解は「仮定法過去も仮定法過去完了もその他さえも」ありえます。但し、その英訳時期と選択された動詞に関しては「正解」は原則唯一になる(⬅この正解の相対的な唯一性は重要!)。
尚、本稿ではこれらの動詞選択と英訳時期を踏まえた詳述は割愛させていただきますけれども、ご興味があれば、押さえてまゆゆーじゃなかった、まずは仮定法と「能動態+受動態」と進行形(になるタイプとならないタイプの動詞の違い)についてお手元の文法書で確認しましょう。今すぐに!
・『再出発の英文法』目次
http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/f49121d5434770e6c0ca02c9161634bd
・英文読解 one パラ道場:AKB48 渡辺麻友の最後の総選挙2017スピーチ
http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/c55e09a9c257656371d48e182ff95c2b
・AKBは終わりました、以上。
http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/78799c7bb9ac3777b26578910b435b9f
動作動詞と状態動詞の違い確認されましたか? 嘘です(笑)。先に進みまゆゆ、じゃなかった、先に進みます。宇都陸佐は英語教官として開眼した体験というかエピソードをインタビュァーのちーぱかさんにおおよそ3個挙げておられる。すなわち、
(Ⅰ)エピソード1
諸外国の軍トップクラスおよびその配偶者に<東京>よって<日本>を観光案内して、それを通して日本国に好感を持っていただいたこと。そのための試行錯誤の悪戦苦闘の中で「心掛けるべきは自分がコミュニケーションを行っている相手を理解すること」(ibid, cf. P.44)および「英語が流暢に話せても伝えることがなかったら意味がない」(ibid, p.45)という認識を得たこと
(Ⅱ)エピソード2
上記の悪戦苦闘の試行錯誤をしている際に、海外で自分達、自衛隊の渉外担当者の地道なコミュニケーションの積み重ねが、小なりと言えども、日本国に対する信頼を高めていると実感したこと。而して、自分、まゆゆじゃなかった、宇都も「平和に関わる仕事をしている」(ibid, pp.45)という手触りを覚えたこと
(Ⅲ)エピソード3
陸上自衛隊小平学校の通訳者育成担当の英語教官をしていて、「英語を教える際、気を付けるべきは――学生は英語を勉強したくてこの学校に来ているのだから、つい英語のスキルだけに目が向きがちになるのは人情として充分に理解できるのだけれども、「あくまでも英語はコミュニケーションの手段でしかないんですよね」、ならば逆に――、プロの英語教官としてはその教授内容が英語だけに偏りすぎないこと」だという指導の指針を獲得したこと(cf. Ibid, p.46)。換言すれば、「相手に興味を持つこと、相手を理解しようとする気持ちが一番大切」「それは英語を使う任務だけではなく自衛隊の任務全てに共通すること」(ibid)なのだという確信を得たこと。実際、宇都陸佐の「渉外班での経験は学生も興味を持って聞いてくれます」(ibid)からね、というエピソード
これらの情報。ちーぱかさんに宇都陸佐が語られた認識を踏まえるとき、では、
>あくまでも英語は
>コミュニケーションの手段
>でしかないんですよね
というあのセンテンスの意味内容はどう理解できるでしょうか。換言すれば、この「あくまでも英語はコミュニケーションの手段でしかないんですよね」というセンテンスは――宇都陸佐における限り、あるいは、防衛省が編集協力しているわが国唯一の「防衛省オフィシャルマガジン」の広報するメッセージとしては――自衛隊ではどう理解されているのでしょうか。本稿もいよいよ第三コーナーにさしかかってきたの、鴨。ということで下記動画サイトでリラックスしながらこの点を考えてみてください。
・まゆゆの正統派アイドル教室
https://youtu.be/u5yhV04ooEs
蓋し、「英語」そのものを研究対象とする英語学・歴史言語学・言語社会学、人類学・社会階層移動論・ポストコロニアルスタディーズ等々の研究者、他方、詩人さんや洋楽カラオケマニアさんを除くとすれば、日本でも英米でも英語研修に携わる方でこの命題、
「英語はコミュニケーションの手段にすぎない
:E≦one of the Tools of Communication; E≦T of C」
を否定する論者は現在ではほぼ皆無ではないかとわたしも思います。要は、「コミュニケーション」という事柄を所謂「自問自答」を含むとする立場、すなわち、<私>には意識されることのない「私の意識そのもの」と「私の意識」との間の情報の流通もまた「コミュニケーション」なるものに含まれると考える、現在の唯一の現役の哲学である――狭義の分析哲学と現象学と新カント派を包摂させた――広義の分析哲学の地平を踏まえる限り、「E≦T of C」の命題は否定されることのない認識だろうということです。
“I am a conservative role-model idol,” Mayuyu said to herself.
“I am a conservative role-model idol,” Mayuyu said to Yukirin.
・定義の定義-戦後民主主義と国粋馬鹿右翼を葬る保守主義の定義論-
http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/0fb85611be79e7a89d274a907c2c51ac
・<再論>素人の素人による素人のための<技術>としての哲学入門・・・みたいな記事
http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/2599c7621e96f3c97eb27cbe3886798a
敷衍しておけば、まゆゆから「「わたしこそ正統派アイドルでしょう」と<私>は考えています」という情報が伝達される宛先が、まゆゆ自身であろうが、同志の柏木ゆきりんであろうが、現在の哲学の観点からはそこに本質的な差異は存在しないということです。と、ここで、「おいおいおい、今度は哲学のお話ですか? 知識自慢は今時流行らないですよ。あのAKB総選挙の会場で「結婚宣言」した大阪は難波のNMB48の須藤なんとかいう馬鹿娘でもあるまいに」という声が聞こえてくる、鴨。
いいえ、こんな浮世離れしたこと、少なくとも、英語研修の仕組みや内容とはあまり関係があるようには見えないことを述べたのは、単に、わたしの趣味や自己顕示の欲求だけによるものではありません。キッパリ。ではなぜ哲学談義したのか。はい、それは、ここで述べたことによって、次のことが赤裸々になると思ったからです。
蓋し、「E≦T of C」おそらく絶対的に正しいがゆえに、逆に、この命題「英語はコミュニケーションの手段にすぎない」という命題からなにかあるタイプの英語研修の仕組みや内容が推奨されたり忌避されたりすることもまたおそらくないだろうということ。これは「人間はいつか死ぬものだ」という命題はおそらく絶対的に正しいだろうけれども、その命題からなにかあるタイプの契約法なり教育法制が肯定されたり否定されたりすることはおそらくないだろうこととパラレルなのだということです。
ここまでの大仰な道具だてをしたのは、英米の、例えば、ESLコースなり、アンダーグラデュエートのライティングやパブリックスピーキングのクラスでそのインストラクターが述べられるのと、他方、日本で英語教育に関心の深い「識者」さんなる方々が 述べられるときでは、この「E≦T of C」という同じ命題が帯びる意味が違うようにわたしには日頃から感じられるからなのです。
そう、日本ではこの「E≦T of C」の命題は「文法とか発音とかに神経質にならずに、どんどん英語で話しましょう。英語はコミュニケーションの手段にすぎないのですから」というコノテーション(connotation:裏の意味)を帯びているようにわたしには感じられるということ。
畢竟、そのようなコノテーションの意味と解するのなら「E≦T of C」という命題は、英語研修の現場では、少なくとも、英語研修の供給サイドにとっては間違いなく拙劣なものの見方(outlook)であろう。そう、わたしは考えます。そして、宇都陸佐がちーぱかさんに仰ったこともこのKABUの認識とそう変わらないのではないかとも。
簡単な話です。「英語はコミュニケーションの道具」なのですから「英語でコミュニケーションを遂行したいのならば、英語の技術的の部分や英語の知識の運用スキルも補強しなければならない」のではありますまいかということ。加之、「英語はコミュニケーションの道具」なのですから、土台、相手に伝えたい情報や相手から自分が得たい情報がないのであれば/相手に伝えたい情報や相手から自分が得たい情報が明確でないのであれば、英語でのそれに限らず「コミュニケーション自体が成立しない/成立し難い」のではありますまいか、ありますまいかということです。
実際、まゆゆの「正統派アイドル教室」の動画が示唆しているように「正統派アイドル」になるにもスキルの裏付けが不可欠なのかもしれません。而して、英語研修に引き付けた場合は如何。
例えば、上で遊んでいただいた「抜き打ち確認テスト」でさえ、例示した、20数個の動詞を用いて英文を作成して、かつ、その20数個の英文センテンスの意味の差異がわかるという方は――Listeningもそう苦手ではないと仮定すれば――TOEICでも900点前後のスコアは取れるはずです。
けれども、逆に、この程度の「知識としての英語スキル」がないのであれば、ファインケミカルを巡る特許とか金融商品のリスク分散のための交渉とか、イスラーム諸国を含むアジア諸国でのアイドルイベントの興行や猫のメタボ対策を争点とした諸NGO間の縄張りの再確認交渉等々の、相手もほぼ固定しており、かつ、なにがしか専門的に特化した領域から外に出ない謂わば<塹壕戦>型のコミュニケーションであればまだしも、テーマもアジェンダも一般的で抽象的で、かつ、自分とは異質な世界観を抱く相手との利害得失の計算のみならず価値判断を踏まえつつなされる<野戦>や<ゲリラ戦>の形式において「英語でのコミュニケーション」を遂行することは、AKBINGO!の正直将棋じゃなかった、正直、難しいのは明らかだと思いませんか。どうでしょうか、社会人向けの実践英語レッスン運営に携わっておられる全国の元同業者の皆さん。如何。
畢竟、英語のスキル開発と英語でのコミュニケーション能力開発は矛盾も衝突もしないということ。蓋し、宇都陸佐が「あくまでも英語はコミュニケーションの手段でしかないんですよね」という言葉を述べられるとき、英語のスキル獲得と英語でなされるコミュニケーション能力の開発の両者はゼロサムゲームにおけるトレードオフの関係にあるという前提には彼女は立っておられないのだと思います。
而して、換言すれば、英語でのコミュニケーション能力開発は英語のスキル開発を通してしか実現できないだろうし、逆に、英語でのコミュニケーション能力開発とリンクしないフェティッシュな英語学習は--それが伝統的な「学校英文法フェチ」であれ、声色や吐息まで英語のネーテイブスピーカーを真似る「英語音声フェチ」にせよ--、個人の趣味の世界に撤退すべきものであろう。と、そう、わたしは考えています。
幸福の青い鳥(英語でのコミュニケーション能力の増進涵養)は、英文法・語彙・リスニング・会話の知識とスキル開発の作業という研修者の身近にある。「鳥の翼の構造がいかに完璧なものであったとしても、彼や彼女の羽ばたきも真空の中では空虚な物体の変動にすぎないだろう」と、かって、パブロフが言ったように、より快適で果実をもたらすコミュニケーションとリンクしない英語の知識やスキルは個人の自宅の床の間の飾り物にすぎないの、鴨。
宇都陸佐は、これらのことを、3個のエピソードを通して今月号の『MAMOR』の読者に語りかけられているのではないかと思います。繰り返しますけれど、相手のニーズを看過したコミュニケーションはそれがいかにビューティフルな英語でなされようともコミュニケーションではない。伝えたい内容と伝える意志があれば、いかにダサくとも些かなりとも伝える技術があればコミュニケーションは成立する。
而して、英語のコミュニケーションスキルは英語のスキル以外のなにものでもないけれども、それはコミュニケーションの手段として獲得されればその手段となるし、--精神論ではなく、否、残酷なほど見事に例外なく--コミュニケーションのための手段であるというこの肝心の経緯が軽んじられるのならばフェテイシズム的の遊戯の小道具にとどまる。プロの英語教師たるものは、この簡単だけれども厳しい経緯を--おそらく言葉で伝えることは不可能とはいわないけれど極めて難しいのだから--英語のスキル研修を通してトレーニーに伝授しなければならないのではないか、と。そう、まゆまゆじゃなかった宇都陸佐は述べておられるのだと思います。
実際、まゆゆさん自身も、今月号の『月刊AKB48Group新聞2017年7月号』の中で「私、言葉で伝えるのが苦手なので、あえて【トレーニングの仕方とか体調管理とか、世間との付き合い方とかに関して・・・】言わなかったし、「背中で語る」じゃないけど、誰かが見ていてくれればいいな、伝わればいいな、伝わる子には伝わるだろうなと思って、行動で示すことをやってきました。今、伝わる子には伝わってたんだなと思えて、そういう子がいてくれて、本当に良かった」(p.3)と吐露されていますから。
敷衍します。かって、熱帯や亜熱帯にある旧英領の植民地諸国で、独立後もかなりの期間、農業や農業政策を専攻する学生は、気候寒冷なブリテン島を念頭に書かれた書籍で、酪農や動植物の品種改良、農薬や灌漑工程を学んでいたことがあります。それを「植民地的愚劣」とか嘲笑する西側のリベラル派のインテリさんも少なくありませんでした。確かに、予算や教授の人材やらがゆるせば、それらの国はそれらの国にあったテクストを用いて若い世代を鍛えるのが好ましかっただろうことは言うまでもない。
けれども、現在でも、その時期に農芸科学や農業政策を学んだ方々の多くは、その1960-1980の前後になされたそんな「植民地的愚劣」の教育研修を全否定はなされない。なぜか。自己否定は辛いから。それもあるにはあるでしょうが、そんな方の多くがその後英米の高名な大学や研究機関のプロミネントフィギュァ-になられたことを鑑みればそればかりではないの、鴨。
ではなぜ彼等の多くは当時の教育を全否定はされないのか。蓋し、なぜならば、それは、当時、彼等は、ブリテン島を念頭に置いて書かれたテクストを通して、--それを比喩の体系、あるいは、体系化された比喩として受け取りながら--<農芸科学>や<農業政策>の方法論を獲得されたのだろうからです。畢竟、まして況や英語教育においておや。
ならば、というか、だから、街角で偶然もらったチラシ(偶然見かけたポスター説もあり。本人に聞いても正確には覚えていないらしい)をみてオーディションに応募した引っ込み思案の千葉の中学生の少女が<前田敦子>になった経緯。あるいは、ほとんど「引きこもり」の埼玉の小学生の少女がAKB48に出会い、10年後の今、AKBグループの正統なエース<渡辺麻友>になったのは神慮としか言いようのないことなのだと思います。彼女達は秋葉原で神様に<なりたい自分を見つけるための方法論>をいただいたの、鴨ということ。
蓋し、要は、英語でのコミュニケーション。そう、それ、英語が使えるようになるのは実は簡単なのですよ。そう、それは英語を使えばよいのです。で、問題は、問題は・・・。問題はどうすれば英語使うことができるのか? ということ。
>英会話学校?
>アメリカ人の彼氏/彼女つくる?
>バックパック背負ってとりあえず成田から高飛び?
まあ、運がよければそれらも<美談>か<武勇伝>にはなるでしょうけどね。でも、そんな大仰なものじゃないのです。英語を使おうと思えばいくらでも方法はある。
ポイントは、マインドセットと目的意識と原価意識、継続とやりっぱにしない復習の習慣・・・。
で、英語でのコミュニケーションに興味をもつこと。英語でのコミュニケーションをする自分を我ながら誇らしいとイメージできること。英語でのコミュニケーション能力開発が楽しいこと/楽しめること。なにより、コミュニケーションの営み自体に興味を持てること。これらは、このマインドセットにきわめて重要だと思います。その重要なポイントを宇都さんとちーぱかさん合作のこの短い記事は貫いている。そう感じました。まとめましょう。
英語の文法・語彙・音声等々の知識やスキルを通して<コミュニケーションの手段としての英語>という方法論を、あるいは、方法論構築の方法論的基盤を体得すること/体得させること。これができないはずはないのではありますまいか。そうわたしは確信しています。而して、今月号の『MAMOR』の「ちーぱか・すっぴんインタビュー」を読んでその確信を再度確認しました。よって、英語教育と英語でのコミュニケーション能力開発に関心のある方すべてに、今月号『MAMOR2017年9月号』の購読をお薦めさせていただきます。
Beginner」by まゆまゆ
>英語は楽しいです。
>英語でのコミュニケーション能力開発はもっと楽しい。
>ということで、英語を通して日本のために共に闘わん。
<関連記事>
(本稿で述べたことを、逆に、社会のアングルから一瞥したものです)
・草稿・科挙としての留学の意義と無意味(上)(下)
http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/3d2bc3378bcef0da078a1b30c9681d79