言語には文化が現れる | かぼちゃのブログ 慶應通信

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慶應通信文学部I類2015秋入学 学んて感じたことなど書いています。



基本的に英語はわからないし、嫌いでしたが、

慶應通信で勉強を始めると、

卒業のためには英語を勉強しなければなりません

(他の言語はもっとわからないと思いましたので)。

中高生の頃と比べると、

かなり英語を勉強しました。


言いたいことは

他言語でも単語や語順を入れ替えれば

そのまま伝わると、

子どもの時は単純に思ってました。

ところが英語がわかってくると、

そう単純でないことがわかります。

何故そんな言い回しになるのか、

どうでもいいことを区別したり、

不思議でしょうがないことが

たくさん出てきます。


現代英語学のテキストに、

英語はアングロサクソンの文化的痕跡を

のこしているとありました。

個人の独立性、自律性を重んじるので

使役構文が発達したこと、

キリスト教的価値観に基づいていること、

合理主義に基づいていることなどなど。

それらは単語や語順に現れるようです。

言語とは、

こんなに使用する人たちの文化が

現れるものなんですね。


日本語で物事を考え、

それを英語にするときの違和感、

ある意味当たり前だったのかもしれません。

勉強すればするほど、

私の考え方は日本的なのではと、

思ってしまうのです。


英語の単位は何とか取得しましたが、

やっぱ英語は苦手です。