長崎・五島の旅 | カブログ君の音楽と旅

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つい先日、念願の長崎・五島の旅に行ってきました。夏休みの混雑と暑さと台風を避ける為に行くなら7月前半か、9月後半を考えていました。主な目的は長濱ねるゆかりの地巡り、世界遺産になった長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産巡り、坂本龍馬ゆかりの地巡りの3つです。他にも出川哲朗の充電させてもらえませんか?で見た五島の夕景、ブラタモリで見た出島、長崎の路面電車等です。これから長崎旅行に行かれる方の参考になるように感想を書きます。私は旅行好きで47都道府県巡りは30代で達成しており、長崎も当然行っています。しかし、車好きでもある為に殆どが駆け足で、長崎でも夜景を見たのとちゃんぽんを食べた程度しか記憶に残っていませんでした。

 

そこで今回は生まれて初めて夜行バスに乗って福岡に行き、そこからまた高速バスで長崎に行くという滞在型の旅行にしました。長崎のホテルを拠点にし、途中で五島列島にフェリーで渡り、これまた生まれて初めてレンタカーを借りて2日間中通島と、橋で繋がっている若松島・頭ケ島に行きました。再び長崎に帰って市内観光を続け、最終日はレンタカーを借りて島原半島を巡り、天草四郎で有名な原城跡と島原城を見、長濱ねるの母校諫早市の喜々津中学校を見て福岡に向かうというルートでした。なぜ島原に行ったかというと世界遺産になった長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産の大元になった地であり、天草四郎の天草の乱が日本の歴史上重大な出来事だったからです。

 

原城は1496年、日野江城の支城として有馬貴純によって築かれたが、有馬氏が日向国延岡城に転封となった後、1616年に松倉重政・勝家父子が入城した。一国一城令の影響もあり、島原半島南部に位置していて不便で廃城し、代わりに島原城を築城、1624年に完成した。4万石にしては不相応に大きな城だった為に課せられた年貢米の取り立てや役務で農民は疲弊していた。しかもキリシタンに対する弾圧も苛烈になり、13年後の1637年に遂に日本最大規模の農民一揆島原の乱が起こった。一揆軍は島原城にも攻め入ったが、堅牢なお城であった為に原城に引き上げた。約3.7万人が籠城したが、多くが農民だった為に幕府は軽く考えており、撃退されて目の色が変わった。

 

九州の幕府寄りの大名だけで片付けようとしたが難しいと悟り、松平信綱が総大将となり、12万以上の討伐軍を差し向けた。更に背後の海からはオランダ船による砲撃も加えたが、外国の力を借りることへの反発から砲撃は止め、監視活動だけに切り替えた。約4か月の戦いの後に幕府軍が勝利したが、城が堅固で前半の戦いはお互いに犠牲が多く、後半は兵糧攻めで一揆軍が負けた。幕府が驚愕したのは農民とキリスト教の結びつきの恐ろしさであり、キリスト教弾圧と鎖国の大きな原因となった戦だった。天草の乱が無ければ鎖国もなかっただろうし、長崎の教会群が世界遺産になることも無かっただろうから天草の乱が日本の歴史に残した影響はとてつもなく大きかったと言える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1⃣ 交通

 

 

① 夜行バス

 

生まれて初めて乗ったが、比較的快適で、何より料金が格段に安いのが魅力だった。高速バス自体は何度か利用していた為に安易に考えていたが、思っていた駅の北側は在来線のバスだけになっていた。しかも夜11時だから人が少なく、JRの駅員に駅の南側に移動したと聞いて何とか辿り着けた。待合室はほぼ満員だが、福岡行きの時間になっても殆どの人が移動しない。仕方なく福岡行きのバス停に行ったがたった4組だけだった。こんなので儲かるのかと思っていたら次の宇多津駅で満員になった。どうも愛媛や高知の人がここで乗り込んできたようだ。

 

高松は以前は鹿児島や福岡に飛行機便があったがJAL破綻で無くなり、高速バスも長崎行きが今年3月に無くなりました。それでも福岡キャナルシティ博多から長崎駅までは2時間半なので比較的早く着くから時間的には余裕があります。問題は帰りの便で、高松のように乗り場も分からないし、待合室も無い状態です。男女トイレの横に案内所があったようですが、廃止になってカーテンが閉まっています。椅子も4人程度しか掛けられず、通路も狭くてまるで自販機が2台あるトイレ室のような感じです。通路を抜けると駐車場がありますが暗くてよく分かりません。

 

時間に余裕を持っていたから早過ぎたのかもしれないが、屋外の庇のような所がどうも待つ場所のようです。バス停がある訳でなし、掃除のおばさんに聞いたらあそこが乗り場だと教えて貰ったが暗くてよく見えない。心配なら見に行ったらと言われるが雨なので見に行く気も起らないし、仕方なく庇のところに立っていたら徐々に人が増えてきた。そこにはUSJ行きバスの広告があるだけで建物裏の薄暗い場所でとても乗客を待たせる場所ではない。やっとバスが来たのでおばさんの言っていた壁を見ると確かに高松行きの張り紙があったが酷過ぎる待合所だった。

 

 

 

② 路面電車

 

路面電車もあまり乗った記憶が無くて楽しみの一つでした。長崎駅に行けば駅員がいて切符売り場があるだろうと思っていたが全くの無人でした。仕方なくスマホで調べたら1日乗車券500円と24時間乗車券600円があるのが分かりました。全区間120円ですから断然お得で、一々お金を用意しなくてもいいから24時間乗車券を買いました。一番遠い駅でもたった7キロ少々ですから殆ど下駄代わりという感じです。殆どが1両で通路も狭く、早めに運転手側に移動していないと降りにくくなります。更に路線が5系統もあって乗り換えもあるので慣れるまで大変でした。

 

一番驚いたのは同じ駅のホームに2両が50cmくらいの位置で停車し、乗り換える場合もあることです。普通は反対側のホームに移動するのですが、色々なパターンがあって疲れました。単線の場所もあれば3路線が2方向に行くために6通りの判断をしなければならない駅もあります。とにかくどこ行きかをしっかり頭に叩き込んでおくことが重要です。香川の電車は大体駅員がいますし、遠方は1時間かかるし、6両編成くらいまであります。通路も広いし、乗れる人数も倍以上ありそうです。路面電車はまるでミニチュアの鉄道ゲームのようで新鮮で面白かったです。

 

困ったのは24時間の電子切符がエラーになって表示されなかったことです。スマホの電源を切って立ち上げたら表示できるようになりました。もう一つは写真も撮りまくっていたので電源が落ちて電子切符を表示できなくなりました。運転手に後1時間残っていたと言っても無理だと言われ、仕方なく120円支払いました。すぐにコンビニに行って充電用のセットを買って何とか凌ぎましたが、電子切符の落とし穴は電池切れです。後で分かったのですが、電車の切符はあちこちのお店で売っているようです。路面電車に余り興味が無かったが、また乗りたいなと思っています。

 

 

 

③ フェリー

 

フェリーは四国なので比較的多く乗っていますが、五島行のフェリーは便数も多く、非常に便利だ。主に福江島と言う五島市のある下五島行と、中通島という新上五島町のある上五島行きがある。上五島行きは奈良尾港・鯛ノ浦港・有川港の3つの航路があるが、レンタカーを有効に使うには鯛ノ浦港行きが一番便利だった。フェリーは早くから予約を入れていたが、定員300人で実際に乗っていたのは50人前後だったと思うから予約は不要だろう。平日だったからかもしれないが、かなり大きな船だから余裕だろうし、1,000円足せば2階席にも行けます。乗船時間も1時間40分だし、鯛ノ浦行きだけでも1日3便出ているからスケジュール的に大きな問題は無いと思います。

 

鯛ノ浦港は日帰りレンタカーパックもあって、長崎からフェリー代込みで13,500円ですから随分お得です。でも余裕をもって廻るのなら1泊2日がお勧めで、私の場合17,500円でしたから左程変わりません。港までの送り迎えをしてくれるのが最高で、長崎で同じことを言ったら五島は客が少ないからそんなことができるんですと言われました。でもそれだけじゃなくて、人が優しいから過剰なほどのサービスができるんだと思います。例えば世界遺産構成資産内教会でもある頭ケ島天主堂は近くにある現在使われていない上五島空港に行けば30分毎に送迎バスが来るのですが、駐車場も送迎バスも全て無料です。申し訳ないから絵ハガキを買いましたが、五島は天国です。

 

 

 

④ レンタカー

 

レンタカーも生まれて初めて利用しましたが、思ったより安くて驚きました。最初に利用したのは五島のニコニコレンタカーで、全国各地にあるようです。ガソリンスタンドなどが経営していて、決まった地区だけで利用するのは安上がりです。基本借りたお店に返さなくてはならないから県を跨ぐような場合は不向きです。何より助かったのは30分くらい離れてる港まで迎えに来てくれることで、帰りも勿論無料で送ってくれました。1泊2日借りたのですが驚きの6,000円台で、260km走ってガソリン代も2,000円台と、1万円以内で済みました。

 

送迎で同乗した人が東京から車で8泊の九州旅行に来ていて、長崎に車を1泊1,000円で預けてきたと言っていました。借りたのは軽4ですが島の道は狭いので十分ですが、シビックもあまり料金は変わりませんでした。保険は自損事故の補償がないと聞いたので掛けませんでした。中通島は1泊2日あれば十分最低限の観光地は周れます。島原半島の時は目的地が福岡だったので大手レンタカーを使いましたが、乗り捨て代や高速代が高くつき、長崎に戻った方が良かったと思います。大手レンタカーでも借りた店に返せばかなり安い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2⃣ 世界遺産

 

 

長崎の世界遺産と言えば明治日本の産業革命遺産もあって端島、別名軍艦島が有名ですが、天気が良くなかったので行くのは止めました。端島炭鉱もそうだが、トーマス・ブレーク・グラバーが大きく日本の産業革命や明治維新に寄与している。武器商人としてのグラバーは有名で、薩摩藩や長州藩に軍艦や武器を売って明治維新を後方支援している。グラバーは会社員として長崎にきたが、貿易会社が撤退したので、自分でグラバー商会を立ち上げ、引き継いだ。高島炭鉱や端島炭鉱の経営にも参加し、船工場建設や日本国内初の蒸気機関車を走らせたりした。

 

明治維新が成って武器が全く売れなくなり、グラバー商会は倒産した。土佐藩士だった三菱財閥岩崎弥太郎が手を差し伸べ、相談役として活躍させた。キリンビールはグラバーが社長を務めるなどして成功させた。三菱財閥が買い取ったグラバー邸は後に長崎市に寄贈された。今回はグラバー園も行きましたので明治日本の産業革命遺産にも行ったことになります。眼下には三菱長崎造船所も見えますから明治維新の重要な場所だったことが分かります。主目的の長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産の中心施設が大浦天主堂で、グラバー園の横にあります。

 

天草の乱が幕府の鎖国政策を促し、出島を作り、隠れキリシタンの歴史を長崎に齎したのだが、ここに大きな意味がある。と言うのは長崎県は教会群を世界遺産にしようと頑張ってきたが、世界にはもっと素晴らしい立派な教会が溢れかえっており、長崎の教会程度では世界遺産の可能性は微塵もなかった。そこでユネスコのアドバイスがあったのだろうが、隠れキリシタンを前面に出せば可能性があると言われたようだ。そうなると天草の乱のお蔭で世界的にも珍しい隠れキリシタンという存在が大きな意味を持ち、長崎の教会群が世界遺産になる可能性が高まる。

 

天草の乱が終わったのが1638年ですが、隠れキリシタンの存在が世に知られるようになったのは信徒発見のあった1865年ですから実に227年隠れていた訳です。発見したのはフランス人のフューレ神父で、1864年に大浦天主堂を創建した。大浦天主堂は訪日する外国人の為に建てた教会だったが、1865年3月17日に世界を揺るがす大事件が起こった。日本にはまだ禁教令が出されており、キリスト教信者は1人もいない筈だったのに現れたのである。特に隠れキリシタンが多かったのが長崎市内西部の浦上地区で、大浦天主堂で祈る神父の耳元で囁いた。

 

「私の胸、あなたの胸と同じ」と、浦上地区から来た15人の男女の内の1人の女性が告げたのだった。即座に神父はバチカンのローマ教皇に知らせたが、ピオ9世は東洋の奇跡と驚愕した。ところがまだ禁教令が解かれていなかった為に数百名が島流し等になったが、世界から批判が殺到し、遂に1873年、禁教令が廃止された。大浦天主堂の正式名称は日本二十六聖殉教者天主堂であり、日本最古の洋風建築教会である。豊臣秀吉は1587年にキリシタン禁教令を発布し、1597年に布教していた20人の日本人、6人の外国人の信者と、匿った農民を磔の刑にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3⃣ 坂本龍馬

 

 

私は同じ四国出身の坂本龍馬を尊敬しており、高知には何度も足を運んだが、最大の功績は薩長同盟だろう。そしてその主な舞台は京都・薩摩・長州・長崎であり、中でも日本初の商社亀山社中があった長崎は大きな働きの場だった。グラバーから兵器や軍艦を薩長に渡す商社のような活動をし、自前の船も持って薩長の手助けもしていたようだ。亀山社中は山に囲まれた長崎でもかなり高い山の中にあり、一番汗をかいた。道は細く、敵の攻撃を避ける為なのかと思うほどの場所にあった。すぐ近くには龍馬の大きなブーツ像があって、その中に足を入れて船の舵のモニュメントを握って下界を見渡せる景色のいい場所だった。眼下には坂本龍馬が写真を撮った日本で2番目の商業写真館上野撮影局跡がある。

 

そこにはカメラ模型が野晒しで置かれており、坂本龍馬ら明治維新の志士達が10秒以上じっとポーズを決めていたようだ。1848年、上野彦馬の父蘭学者上野俊之丞が日本で初めて写真機を購入し、それは後に島津藩に渡り、カメラの研究に使われた。1862年、化学者でもあった上野彦馬は上野撮影局を開設し、高杉晋作・伊藤博文・後藤象二郎等の多くの幕末の志士達の貴重な写真を撮っている。西郷隆盛はこいういうのを嫌っていたのだろうが、写真が残っていない為に未だに上野の銅像が本人に似ていないという論争がある。西郷どんは毎週見ているが、小説によって幕末の内容はかなり違い、多少の疑問も感じながら新たな視点の歴史を目にしながら改めて明治維新の凄さを再認識している日々です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

4⃣ 長濱ねる

 

 

長濱ねるは1998年9月4日、3人兄弟の次女兼末っ子として長崎市内で生まれた。両親が教員をしており、転勤に伴って3才の4月上五島町奈良尾の教員住宅に移り住んだ。地元の人に聞いた話では長濱家は五島には縁もゆかりも無かったと言っていました。私の記憶では原爆で被災したおばあさんが生まれ故郷である五島に移り住んだという記事を見た記憶があります。また今は五島の施設に入居し、入所者から孫の出演情報を教えられて幸せな日々を送っているという記事を見た記憶があります。もしかしたらおばあさんは下五島の施設に入所しているのかもしれませんが、また分かったら書きます。

 

行って驚いたのは奈良尾地区のコンパクトさと過去の繁栄ぶりです。幼稚園生だった長濱ねるにとって奈良尾は正にワンダーランドだったのでしょう。短い奈良尾トンネルを抜けるとすぐ海で、フェリーターミナルがあり、右手には釣りをした岸壁があります。町中からすぐのところに奈良尾神社があって樹齢650年のあこう樹は鳥居のように聳えています。奈良尾の先祖は和歌山県の広川町の漁民だと言われており、姉妹都市にもなっている。あこう樹はその時持ち込んだ木で、1368年頃ですから室町時代で、足利義満が征夷大将軍になった頃です。和歌山出身だからだろうが、殆どが仏教徒だと言っていました。

 

イメージとして五島列島はカトリック教徒が多いのかと思っていましたが、せいぜい25%程度で、仏教徒や神道も多いということでした。五島市のある下五島は農業が盛んで、上五島は漁業と観光が中心で、あまり交流が無いと言っていました。上五島町でも地区によってそれぞれ文化が違うようですが、長濱ねるは漁師町奈良尾の活気の良さが気に入っていたようです。最盛期は道ですれ違うのにも肩が触れ合うほどで、元スナックの看板らしきものもありました。今はあこう通り商店街も寂れてしまっていて、長濱ねるがいた頃が賑やかだった頃の最終盤だったようですし、今からの復活は難しいなと感じました。

 

長濱ねるのイメージは短パン半そでの元気な子で、じゃりン子チエのように走り回っていたようです。両親が共働きだった為に家には帰らず、酒屋三蔵にランドセルを預けて遊びまわっていたようです。幼稚園児でも楽々町内を廻れる広さで、今は廃業した肉屋さんに上がり込んだり、元学校関係者だった山内さんの家に上がり込んでいたようだ。町の人は他から来た子供も我が子のように接してくれたようで、長濱ねるだけでなく、多くの出て行った子が今でも奈良尾に遊びに来るようです。山内さんは未だに毎年来てくれるのはねるちゃんだけと言っていましたが、どうもそうではなく、人の優しさは十分伝わりました。

 

過疎化は抗いようがないが、奈良尾で買い物をしようにも殆ど土産物屋が無く、唯一と言っていい、奈良尾港ターミナルでも2階に2軒、1階に1軒あるがどれも小さく、いっそまとめて大きくしたらどうかと思いました。1階は15分くらい出かけてきますと書いていて待ちましたが、何か商売っ気が薄いなと思いました。あこう守クッキーとか多少は土産物もあるが、肝心のねるお勧めのあミーごの人形は非売品で、仕方なくストラップとクリアファイルを買いました。長崎では長崎西高校も行きましたが、爆心地から約800mと近く、元あった瓊浦中学校は403名が死亡した地で、1950年に長崎西高校が新築移転した。

 

1948年に総合選抜の瓊浦中学校・長崎中学校・長崎高等女学校・長崎市立高等女学校の4つの学校が統合し、中島川・大浦川を境に長崎西高校と長崎東高校に分割されたが、長崎西高校は公立としては県下随一の進学校だ。爆心地に近い為に、平和公園・原爆資料館・浦上天主堂・山王神社にも極めて近い。平和公園で長濱ねるお勧めのちりんちりんアイスを食べたが、あっさりしていて美味しかった。原爆資料館ではボランティアガイドの話を聞いたが、1時間以上かけて丁寧に説明してくれた。敬虔なカトリック信者が多い浦上地区に原爆が落とされたのが不可解だが、色々目標が変遷した結果らしい。

 

長濱ねるファンなら絶対に訪れて欲しいのが水辺の森公園です。長濱ねるが欅坂46に入りたい胸の内を吐露した有名な公園ですが、小中高と続く大親友から欅坂46を勧められて受けたようです。私はこの話から喜々津小・喜々津中・長崎西高と一緒だった優秀な親友がいたのだろうと思いました。しかし、奈良尾で聞いたのは長崎の小学校に転校したと言っていましたので、ソニーミュージックの発表は正しいようです。恐らく2年生だけ長崎の小学校で、その後は喜々津小学校なのでしょう。だから都会である長崎の小学校では変な声だと言われ、ぶりっ子の声だとも言われて図書室に逃げ込んだのでしょう。

 

喜々津小学校は諫早市の郊外にあり、それほどとやかく言われそうにもないが、心を閉じていた長濱ねるはたった一人のパソコンクラブに入ってひたすら3年間AKB48の動画を見たり、ゲームをして遊んでいたようだ。そんな長濱ねるにも親友ができてすぐ横にある喜々津中学校に進んだ。その子も優秀だったようで、一緒に長崎西高校に進学したから全国高校生クイズに一緒に出た子だろうと思います。高校時代の長濱ねるは学校のマドンナだったから写真を撮ってくれて応募を後押ししてくれたようだ。水辺の森公園は目の前には五島行のフェリー乗り場があり、五島の生活を思い出さしてくれたのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

5⃣ 食事

 

 

食事は長崎ではちゃんぽんを食べたが長崎新中華街にある中華菜館は長濱ねるも行っていたし、さだまさしもお勧めなので行ったが、30分待ちで受け付けの女性の態度が悪かったので他の店に行きました。私のお勧めは国宝大浦天主堂近くのちゃんぽん発祥の地四海楼で、眼下に長崎の港が見えて景色もいいし、店員の態度も満点でした。昼食は九州地区最古の喫茶店つる茶んクラッシックのトルコライスを食べに行ったが、メニューに載っていないし、お昼のランチを食べました。トルコライスと言っても特別な料理でないことを知っていたので850円のランチで十分満足でした。一番のお勧めは長濱ねるも褒めていた食後のミルクセーキで、懐かしくて上品な味で、結構量もあります。

 

最初は別の席に座ったのですが、店員が勧めてくれて1Fの左半ばの席に座ったが、食事が終わって立とうとしたら丁度その席の壁に長濱ねるのサイン入り色紙が目に入りました。結果的にですが、どうも私が座った席は長濱ねるの向かいの席だったようです。今日、写真集の写真を見て間違いないと確認でき、今更ながらほっこりしています。この喫茶店の近くに長崎市役所があって、3Fの広報広聴課前の廊下に広報ながさきが置いてあります。誰にも聞くことなく持って帰れるのですが、長濱ねる表紙の4月号がかなり置いていましたので、取りに来る人が多いのだと思います。岩崎本舗の角煮饅頭も食べましたが、賞味期限が6時間と短くお土産は断念し、ぬいぐるみだけ買いました。

 

五島では有名な五島牛の料理を食べたが、泊ったホテルが長濱ねるお勧めのマルゲリータだったのでイタリア料理のコースでした。本当は出川哲朗が食べていたステーキを考えていたので全く別ものでした。ワインのソースの香りと味が強くて五島牛の良さが隠れてしまっているように思いました。おしゃれなリゾートホテル希望ならいいが、そうでなければもっと安いホテルや旅館に泊まって専門店に行った方が良さそうです。五島うどんは細いさぬきうどんと言った感じで喉越しも良く美味しかったです。地獄炊きは乾麺だから生めんの特製うどんの方が美味しいと言われたのでそうしました。驚いたのは海老天のエビの太さと美味さで、スーパーでも鮮魚類の値段が半額程度で驚きました。

 

島原ではろくべえという郷土料理を食べたが、あまり美味しいとは言えないが、雲仙普賢岳噴火時のさつまいもを使った非常食なので仕方がない。お勧めは来年のNHKドラマかんざらしに恋しての舞台にもなる銀水の寒ざらしですが、350円であっさりした上品な味がお勧めのスイーツです。ドラマ撮影はまだのようで、年内に長濱ねる等の出演者が来るようです。この店は20年ぶりに町おこしの為に島田市市長の音頭で復活し、NHKの上田会長が島原市出身だから協力して盛り上げようとしているようです。こうなってくると長崎市は長濱ねるを観光大使にし、五島はねるちゃんマップを作り、島田市はドラマに起用しているのに今実家がある諫早市が何もしていないのが寂しい限りです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

6⃣ 感想

 

 

世界遺産長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産を目的とするならば大浦天主堂と浦上天主堂は避けては通れないし、島原市の原城跡と島原城も必須でしょう。また五島列島には50か所の教会があり、上五島の教会だけで29か所もあります。五島市のある下五島が人口3.8万人で21か所ですから、人口1.9万人の上五島の方が圧倒的に多い。特に外せないのは頭ケ島天主堂で、強くお勧めします。坂本龍馬が目的ならば亀山社中が必須でしょうし、近江屋にあった屛風の一部が展示されており、血飛沫の跡も残っています。五島にも龍馬像があって、グラバーから買った船が難破し、弟のように可愛がっていた池内蔵太始め12名の同志が若くして海へ散りました。この地に建つ龍馬は仲間への鎮魂の想いを込めて、遭難した場所を見つめながら合掌しています。

 

長濱ねるゆかりの地を訪ねるのならば、長濱ねるが愛してやまない奈良尾郷は必須ですし、あこう樹・奈良尾神社・奈良尾図書館・奈良尾港ターミナル・奈良尾港釣り岸壁等も是非とも行きたい場所です。詳しい話を聞きたければ民間観光案内所酒仙ささやに行けば教えてくれます。他にもパンランドかんちゃんのりんごパンもお勧めです。長崎では山王神社・長崎西高校・水辺の森公園は必須でしょう。喫茶つる茶んクラッシックで食事しながらサイン色紙を眺めるのもいいし、市役所で広報ながさきを手に入れるのもいいでしょう。長崎駅にあるアミュプラザのメトロ書店で長濱ねるのサイン色紙を探すのも楽しいでしょう。大ファンなら旧上海香港銀行があった建物1Fの多目的ホールで長濱ねるがピアノの発表会をしたピアノや観客席を眺めるのも至高の時間でしょう。

 

長濱ねるは米谷奈々未の卒業を受けて勿忘草色というタイトル記事を書いています。勿忘草の花言葉は私のことを忘れないでという意味のようです。聡明で、優しくて包容力のある人に初めて出会ったと言っていて、一番心の内を話せるメンバーだったと言っています。家庭環境が似ていて、高校も同じだったから猶更通じるものがあったのでしょう。アイドルとして負けたのは止むを得ないが、学力テストとクイズでも負けたのは相当悔しそうでした。アイドルと学業の両立の難しさを一番理解しあっている二人だからこそ、お互いに1つの道に絞ったのでしょう。恐らく卒業してからも連絡を取り合って相談する相手なんだろうと思います。ささやの宮下みなみさんがもっと詳しいねるちゃんマップ第二弾を考えていると言っていました。益々これからが楽しみな長濱ねるです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

7⃣ 追記

 

 

私が先月利用した五島産業汽船が突如航路事業の廃止を届け出たようだ。五島列島には他にも九州商船も運航していますから直ちにアクセス不能にはならないが、島民にとっては大事な交通手段を失うことになり大問題だ。長濱ねるが住んでいた奈良尾港には九州商船が運航していますから聖地巡りに大きな支障はないが、長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産の世界文化遺産巡りをする方は大問題になりそうだ。朝日新聞デジタル・毎日新聞・長崎新聞の記事を下記に転載しましたから参考にしてください。

 

 

 

① 朝日新聞デジタル

 

五島産業汽船は2日、五島列島と長崎市や佐世保市などを結ぶ高速船やフェリーの運航を休止した。九州運輸局に1日夜までに航路事業の廃止や来年10月末までの休止を届け出た。民間調査会社によると、収益の低迷に加え、船舶の修理費などがかさみ、資金繰りが悪化していたという。同社は1990年設立。長崎港―鯛ノ浦港(新上五島町)、佐世保港―有川港(新上五島町)、佐世保港―福江港(五島市)の三つの定期航路をもつ。長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産の世界文化遺産登録に合わせ、長崎港―崎津漁港(熊本県天草市)で高速船の試験運航を実施。毎週金、土、日曜に1日1往復していた。

 

しかし、民間調査会社の東京商工リサーチ長崎支店によると、船舶のエンジン修理費などがかさみ、今年4月期決算で2億9千万円の最終赤字を計上。8月には1回目の不渡りを出すなど資金繰りが悪化しており、再開のめどは立っていないとみられるという。地元の自治体には1日、同社から運休の連絡が入った。長崎県の担当者は「経営上の理由としか説明を受けていない」、新上五島町は「昨日、船が出せなくなるかもと連絡を受けたが、それ以上の情報が入ってこない」と困惑する。高速船やフェリーの乗り場がある佐世保港では、運休を知らせる貼り紙が同社の窓口に貼られていただけで、新上五島町へ向かうフェリーに乗る予定だった男性会社員は「先方と約束があるのにどうしたらいいのか」とぼうぜんとした表情で話した。                                      

 

 

 

 

 

② 毎日新聞

 

長崎県内で離島航路を運航する五島産業汽船(新上五島町、野口順治社長)が、2日から全4航路で運航を取りやめた。資金繰りの悪化など経営上の問題とみられ、突然の休止に利用者や自治体には戸惑いが広がっている。国土交通省九州運輸局によると、五島産業汽船は9月25日に佐世保-上五島(有川)航路を廃止、1日に長崎-上五島(鯛ノ浦)、佐世保-下五島(福江)の2航路を来年10月まで休止すると届け出た。

海上運送法では30日間の周知期間を設けるよう規定されており、同局は異例の届け出としている。長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産の世界文化遺産登録を機に7月から運航を始めた長崎-天草(崎津)も廃止する。五島市や新上五島町によると、2017年度の各航路の利用者数は、長崎-鯛ノ浦11万2258人▽佐世保-有川5万6229人▽佐世保-福江1万9484人だった。

長崎市などのターミナルには運休を知らせる案内が張られた。佐賀市から仕事で新上五島町に向かおうと佐世保港を訪れた男性(60)は「昨日の朝、便の変更をするために五島産業汽船に連絡した時は何事もなかったのに」と困惑した様子。新上五島町の宿泊業の女性は「どこかの会社が運航を担ってくれないか」と、観光や離島の産業振興への打撃に不安をのぞかせた。

 

 

 

 

 

③ 長崎新聞

 

五島産業汽船が離島航路を突然運休した問題で、長崎県新上五島町の江上悦生町長は3日、長崎-上五島(鯛ノ浦)航路の運航を引き継ぐ新会社の設立を検討することを明らかにした。新上五島町議会は同日、航路対策特別委を開き、長崎県や国と連携して早期の航路再開を目指す方針を確認した。新上五島町は五島産業汽船の船のうち、2隻を所有している。江上町長は長崎-鯛ノ浦航路について、「新会社設立と既存の船会社に依頼するのと、どちらの方法が早期に再開できるか国と県に助言を求めている」と話し、国や県の回答を得た後、どんな形で航路再開を目指すのか町議会に諮る考えを示した。

特別委は冒頭を除き非公開。委員と町長ら計13人が出席し、町側が経過を報告した。委員からは「五島産業汽船はもっと早く報告してほしかった」「社長からも経緯を聞くべきだ」などの意見が出たという。 本村敦彦委員長は「安心して任せきっていたのは反省すべき点」と新上五島町の姿勢を批判。「利用者や職を失った従業員への対応をできるだけやっていく必要がある」と話した。五島産業汽船は2日、「経営上の都合」を理由に突然窓口を閉鎖し、長崎、佐世保と五島列島を結ぶ全航路を運休した。

 

 

 

 

 

 

 

8⃣ 五島産業汽船と関西汽船

 

 

五島産業汽船は8月に続いて2度目の不渡りを出して21億円の負債を抱えて倒産したようです。幸い地元自治体が新会社を設立して事業を継続するようですので少しホッとしています。もし私ももう少し旅行が遅かったら乗れなかっただけでなく乗船料も返ってこなかったかもしれません。私が記事にも書いていますが、五島列島は贅沢なほどフェリーが沢山就航していてこれで儲かるのかと心配していました。何しろ私が乗ったフェリーも300人乗りなのに50人程度しか乗っていなかったからです。そこで調べたらこのフェリーは関西汽船所有のフェリーで、わが地元高松と関西を結ぶフェリーだったようです。私も随分お世話になりましたが、採算が苦しくなって一時期五島産業汽船が引き継いで就航していたようです。

 

このフェリーは1995年の新造船でしたが、瀬戸大橋の完成で採算が悪化したと言われています。でも瀬戸大橋が開通したのは1988年ですからおかしな話です。実際は瀬戸大橋よりも1998年に完成した明石大橋開通の影響の方が大きいでしょう。それでもたった3年違いですから明石大橋開通は分かっていたし、想定の範囲内だったと思われます。関西汽船が撤退した高松関西航路を延長してUSJまで2000年から2006年まで運航していたようです。本当のところは橋ができたからではなく、2003年から導入されたETC特別割引や深夜割引等の大幅値引きが大きかったと思います。当時、私も関西に行く場合は主にフェリーを利用していましたが、それ以降は高速道路を使うケースが殆どになりました。

 

そこで撤退した五島産業汽船は地元長崎に戻ってフェリーを就航させたようです。つまり高松関西航路に就航していたフェリーを使ったから五島の航路には不相応に大きいフェリーになったのだと思います。そう考えると私が昔乗っていたフェリーに奇しくも先月乗っていた訳で不思議な縁を感じます。長濱ねるに誘われて五島に行ってその時乗ったフェリーが昔私が乗っていたフェリーだった訳です。そう考えたら思い出しましたが、当時なぜ長崎の運航会社が高松で営業しているのか不思議に思った記憶があります。長濱ねるは年内に車の免許を取って四国に行きたいと言っていました。私はてっきり地中美術館等がある直島が第一目的だと思っていましたが、どうもそうではなく日本のウユニ塩湖らしいです。

 

日本のウユニ塩湖と呼ばれている三豊市詫間の父母ヶ浜は新上五島町の蛤浜海水浴場と同じで遠浅の有名な海水浴場です。私も若かりし頃はよく泳ぎに行った懐かしい海です。詫間は他にも見所一杯で、浦島伝説のある荘内半島もあって美しい景色が見られます。特に紫雲出山からの景色は絶景で、360度瀬戸内の景色と四国山地の景色が見られます。特に春は桜の花が咲き乱れ、詫間町も花と浦島伝説の里をキャッチフレーズに花が咲き乱れている美しい町です。地元には全国的にも有名な詫間電波工業高等専門学校もあります。長濱ねるは何度か香川に行きたいと言ってくれていますので地元民としては有難い話です。フェリー会社倒産で長崎・五島列島と香川の数奇な結びつきを知りました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

9⃣ 追記の追記

 

 

経営破たんした五島産業汽船の新会社が明日から運航を停止していた長崎―上五島航路を再開すると発表しました。「一日も早い航路復活を目指して作業をしていましたが、認可を頂きまして早速、明日から運航できることに大変喜んでおります」。(五島産業汽船松林剣介統括部長)運航を再開するのは長崎と新上五島の鯛ノ浦港を結ぶ航路で1日2往復、合わせて4便です。経営破たんした五島産業汽船は元従業員が20人が新会社を立ち上げ今月12日に長崎―上五島の航路を引き継ぐ手続きを運輸局に申請―18日、認可されたということです。

 

運休から2週間余りで再開となったことを受けて上五島の住民は・・・「早かったなと。でもやっぱりちょっと不便だったので再開になるのはいいかなと思います」。「仕事で行き来する人がいるので助かります」。運航には前の会社が所有していた定員79人の小型高速船「ありかわ8号」が使われ運賃はこれまでより片道あたり1,100円安くなります。また、運休により使用できなくなったチケットの払い戻しは長崎と上五島のターミナルなどで応じるということです。

 

 

私の感想で「定員300人で実際に乗っていたのは50人前後だったと思う」と書いていますが、79人乗りだったら丁度いい大きさだろうと思います。当然予約が必要になるでしょうが、往復で2,200円安くなるのは大きいメリットです。これから五島列島に行かれる方にとっては有難いのではないでしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【その他の情報】

 

 

 

1⃣ けやき坂&STU&さくら学院&カラバト&BM(推しメン中心)スケジュール

 

 

10/19(金) こちら有楽町星空放送局に長濱ねるが尾関梨香を迎えて送る

10/23(火) BABYMETAL WORLD TOUR2018inJAPAN幕張メッセ2days

10/26(金) Hot Stuff Promotion 40th Anniversary MASAKAにけやき坂46が出演

10/26(金) こちら有楽町星空放送局に長濱ねるが欅坂46メンバーを迎えて送る

10/28(日) BABYMETAL WORLD TOUR2018inJAPANさいたまスーパーアリーナ

10/30(水) BABYMETAL WORLD TOUR2018inJAPAN神戸W記念H2days

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2⃣ アメブロランキング

 

 

アメブロランキングが全くの出鱈目だという記事は過去に何度か書きましたが、ハッシュタグだけは信じて記録していましたが今日で終了します。結果は欅坂46が約1年で110回1位でしたから約30%がこのブログが首位だったということです。これからはマイペースでぼちぼちと更新します。次の推しメンエースを探っていますが、長濱ねるを越える可能性のあるメンバーが見当たらないので当分は次世代エースを模索する日々になりそうです。本日は欅共和国2017のブルーレイ発売日ですが、アマゾンで旅行前に発注していました。入荷は9月28日らしいのでもう少し待たなければならないが、やけに遅いなと思っています。