■経歴
1929年にパリで生まれ、幼少から映画と絵をかくのに情熱を持っていました。
13歳で学校をやめ、叔父と木彫りの見習いを始め17歳で短い期間商いをしながら絵の勉強を受け、米国映画に強い興味を持っていました。
演劇の実習期間に著名な人形師と出会い、そちらの道に進む事にしましたが豪州での兵役中に病にかかり、それにより人形師を断念―その後、文芸とは関係ない職業をしていました。
文芸ワークショップを医療用に取り入れた初の精神科病棟で、絵画/人形/中国の影絵の指導をしていましたーそこで、患者が描いた絵を元に短編アニメ映画「狼の牙」を1961年に公開-その作品はエミール・コール賞を受賞し、その審査員の一人にローラン・トボールさんを紹介されました。その後、作曲家アラン・ゴラーゲルさんとも出会い、トボールさんと共に暗殺をテーマにした、短編「死んだ時間」を1964年に、その翌年には「かたつむり」を発表。
1973年に初の長編「ファンタスティック・プラネット」を発表し、《幻想SFアニメ作家》として世界的に評価され、1982年「時の支配者(現時点で未見)」1987年「ガンダーラ」と発表していきましたが、資金難と本国での長編アニメ映画制作の環境に恵まれずー「ファンタスティック・プラネット」は技術面も含めてチェコスロバキア、「時の支配者」はハンガリー、「ガンダーラ」は北朝鮮、と共作形態で制作されました。
長編4作目の制作計画があった物の、文芸主要スタッフの死去や試行錯誤の末に、断念―後に、ガザさんが別の形でこの計画を完成させました。
1987年に短編「ワン・フォはいかにして助けられたか」を製作後、1989年に6週間TV向け短編を毎週5本前後を製作し、著作も数冊発表。1996年から99年まで国立漫画映像センターのデジタルイメージ研究所のディレクターを務め、1998年に広島国際アニメ映画祭・国際審査委員も務める間、アニメ監督として最期となる短編を製作。
2004年に心臓発作にて死去。
▲本当はかなりのSF好き
ルネラルーさんはステファン・ウルさんのが特に好きだったようで、仏wikiにある「時の支配者」の原作「ペルディードの孤児」記事に、ルネラルーさんがウルさんの作品全てを読み込み、映像化する際に原作の終わり部分を自分なりの解釈してまとめている、という記載がありました。
ですが、DVDボックス2「時の支配者」(2004年)に収録されたウルさんとの対談にて、
【ウルの小説は冒頭の2/3は素晴らしく、よく構築され、展開などの一貫性があります。そして、最期の1/3は少しー彼は時間を使い果たしたか、疲れたか、怠惰になり始めるかのどちらです】
という、発言もしていました。
そのせいか、それ以降はステファン・ウルさん物は途切れています。
仏wikiの「ガンダーラ」記事に、《原作者に声をかけ可能の限り原作に忠実に行った》《途中で制作から外れた原作者に中間報告を続けた》といった記載がありましたー確かに、「ファンタスティック・プラネット」は相当独創的でしたし、「時の支配者」も相当いじっていましたので、ステファン・ウルさんか彼のファンから(上記の発言も含めて)さすがに怒られて、「ガンダーラ」では真面目に原作通りに制作したようですw
「ガンダーラ」の原作者は随分喜んで、映画化されてから10年後にデビュー作の続編を6本発表しましたw
上記のウルさんとの対話での発言―私も、「オム族がいっぱい」全文と仏wikiにある各作品の粗筋を読んで、同じように感じましたが怠惰までは思いはありませんーというのは、ウルさんには手塚治虫と同じ匂いを感じます。
手塚氏も医大卒業しながらも漫画家となり、制作方法も赤本時代では膨大な頁数を大幅に編集し、雑誌連載時では最初勢いよく終りには何とかまとめようとコマが小さくなっていく、という癖があったそうです。
手塚さん同様に、ウルさんも子供時代から書いた物を級友に見せて、歯科外科医を開業するも執筆活動をしていたり、学生時代に創作への思いを一旦断念するも、結局辞められず作品を発表したら評判となった、という点が共通しています。
私もウルさんの尻つぼみな終わり方に、最初《出版社による編集の痕跡を感じる》と書いてから、全12作品は「ニオールク」と「箱」以外は186頁に統一されているのに気付き、上記の手塚さんと同様のくせがあると感じましたー「ニオールク」から「制御下のオデッセイ」まで一気呵成に書いていましたが、終盤の「ターミナル1」「制御下のオデッセイ」と復活時の「箱」で作品自体尻つぼみになっていると感じてもいますが・・・。
思わずウルさんの事で熱く語ってしまいましたが、ルネラルーさんはなにかと《幻想芸術アニメ映画監督》と称されてはいますが、「ファンタスティック・プラネット」「時の支配者」「ガンダーラ」と見ていくと、段々と米日SFアニメ的雰囲気になってきているように感じますー「時の支配者」は「ファンタスティック・プラネット」と「ガンダーラ」の中間的感触(画像検索で見つかる劇中場面)で、どちらかというと日本アニメっぽさがあります。
ですが、芸術幻想傾向の強いフランス人監督の中では、米国で人気あるのは欧州では余り力入れていない分野であるSFとアニメの両方で、幻想的ながらもSFとしての娯楽性のある作品を制作した点、ルネラルーさんは稀代のSFアニメ作家と感じます―この分野で、フランス以外で海外勢といえば日本くらいだと思います。
▼海外との共作
仏本国での長編アニメ映画制作環境が恵まれていないために、「ファンタスティック・プラネット」「時の支配者」「ガンダーラ」は全て海外―チェコスロバキア/ハンガリー/北朝鮮―での共作となりました。
こうしたモノは、共作側にとっては経験した事もない外国の大作物を手掛ける事で、アニメ制作者の喜びと興奮を感じられたと思います。
ルネラルーさんにすれば、資金難のために安く作ってくれる所として選んでいますが、選ばれた方にすれば目を見張るような素晴らしい作品を制作していくのが、楽しくってたまらなかったでしょうー私的に、「ガンダーラ」は最期北朝鮮スタッフ楽しくってたまらなかったんだろうなと思ってしまった所があります。主人公の騎士の若者が、動かなくなった敵の触手を「アチョー」とカンフー風に払っている場面―見た時、《主人公、なぜそこだけ力む》と笑ってしまったのですが、もしかしてこれはルネラルーさんなりの北朝鮮スタッフへのサービスだったのかもしれませんねw
ルネラルーさんはある意味、上記の3カ国のアニメスタジオに歴史的作品を制作依頼したという事は、アニメ史に燦然と輝く出来事となり、関わった3カ国のアニメスタジオにとってはかけがえのない経験と誉となったと思いますー日本が関わっていないというのは、何とも悔しくもあり羨ましくもある話です(´;ω;`)。←していない筈ですが…