さて、創業チームの人たちが去り。

 

今思えば、この大きな会社に買われて移る時に、スタートアップR社のボスだったWさんから、

「マネージャーにならないか?」

と言われていたんです。

が。

 

このスタートアップR社が大きな会社に買収された時のお話はこちら。

買収されて、レイオフがあって。

生き残った人たちが一つのチームになって。

カビゴンJaの会社員人生、まだまだ続いていきます。

『【31歳からのアメリカ】会社が買収された。その後、生き残った私に起きたこと。』

 

カビゴンJa.

 

マネージャーになりたいという思いは当時、全く持っていなかったんです。

 

このWさんからは本当に色々と学びました。

 

この時のWさんの言葉が現実になるのは、もう少し後のことでした。

 

彼は素晴らしく頭が良く、穏やかな喋り方。

彼が話し始めるとみんな聞き入る感じでした。

 

彼と、創業者チームが去った後、大きな会社の仕組みの中で、淡々と穏やかに働く日々。

 

この間、小鬼が中学に上がり、スクールバスに乗れなくなったり、高校に入学したり、転校したり。

 

小鬼のことに専念できたことは母親として本当に恵まれていました。

 

この時期、片道1時間の通勤がネックとなり、同僚の同じ街に住むAさん、(彼女とはスタートアップR社の時代からの同僚!)がこの街にある会社に転職。

 

そして、なんとその会社をこの大きな会社がまた買収!

 

Aさんが私を推薦してくれて、カビゴンJa、Aさんの移った会社に転職に成功。

スタートアップ時代からの同僚が、また私の扉を開いてくれました。
アメリカでは人とのつながりが、本当にキャリアを動かすんですね〜。

自分で体感しました。
 

 

おかげでまた、通勤10分を手に入れたのです!

 

そして、

ここからカビゴンJa、コードを書く仕事から離れていくことに。

 

まず、新しい仕組み(プロセス)を導入し、複数のグループを同じプロセスで工程を管理できるように。

 

そこから7人ほどの開発エンジニアのグループを統率していくことになり。

 

大きな会社でのマネージャーという役割は、全て人事の人たちに明確に定義されていました。

 

色々な英語の単語を使いながらレビューを書いたり、今更ながら、英語力が伸びていった時期だと。

 

そして。

大きな失敗も。

 

新しいテストのために、大きな機器を導入することに。

 

お値段。

 

約$150、000。

 

当時のカビゴンJanにとっては、目玉が飛び出るような金額。 

 

ところが。

契約がすべて整った後、その機器だけでは目的のテストができないことが判明。

 

新しいテクノロジーのテストだったとはいえ、詰めが甘かったのです。

 

カビゴンJa,

やっちまったぜ。

 

この時は眠れぬ夜を何日も。

 

でも、隠しているわけにはいきません。

すぐに、上司の部長に報告。

 

その後、ベンダーさんとの話し合いを何度も進め、無料で、機器をレンタルしてもらえることになり。

 

いやー、

走りましたもん、カビゴンJa.

あの時のカビゴンJaにはその金額はあまりにも大きく。

 

電話しまくって、お願いしまくりました。

 

なんとかするしかなかった。

 

走り回りましたもん、カビゴンJa.

 

英語ができないなんていってられませんでした。

 

でもね。

アメリカで働き始めた頃のカビゴンJaは、英語の電話すらまともに取れなかったんです。

会議も聞き取れなくて、録音させてもらっていたくらい。

そんな人が数年後には、$150,000をなんとかするために英語で電話しまくっている(笑)。

人間、必要に迫られると何とかするものですね。

その頃のお話はこちらです。

『【回顧録②】英語が話せなくても採用された。31歳、アメリカ生活の始まり。』

 

遠い目になっちゃう。

 

そんな、初々しく頑張ってた時があったな〜。