徳村慎
Ⅱ 構造主義
⑨アルチュセール『マルクスのために』
マルクスは科学を目指したのだ、と思う。
その後の時代によって「科学でない」と批判されることもあったかもしれないが。。。
昨日、観たYouTubeで、「社会は不平等だ」ということを言っていた。平均化されて働かなくともお金が手に入る社会は、面白くないんじゃないか、と言っていた。
まあ、何を面白いとするか、は難しいことだけど、、、。
でも、今の自分を肯定する方が幸福になれる。
昔は多産な芸術家に憧れた。
いや、今も憧れている。
そして多様な芸術家に憧れる。
しかし、今の自分を否定してしまうのなら、憧れない方がマシだ。
もしも、金銭的に平等な社会が生まれたら、僕は芸術を作るだろうか?
、、、分からない。
深夜に読んだTwitterで。
絵画は社会の役に立つか、どうか?
という話で、、、絵画は、、、画材、運搬費、消費税などを支払っているから社会の役に立つ、と書いてあった。
絵画を見た人に感動を与えるかどうかは別だ、とも書いてあった。
社会で生きているからには、引きこもりの人でも、農家の作ったコメなどの食品を口にしているのだし、服を着て家に住むから、それらを消費していると考えれば、社会の役に立たない人なんて居ないのだ。
科学的に考える、というのはとても良いことだ。
現代思想を読んでいると、哲学でさえ科学なんじゃないか、と思える。
時代の先端の考え方なんだから、哲学も科学に接近していて当たり前なのだ。
ジャズの漫画『BLUE GIANT EXPLORER』2巻で、「誰かの役に立ちたいんだ」と語る主人公。
芸術であっても誰かの役に立つ。
芸術と科学は実は似ている部分があるのかもしれない。僕はこれまで、芸術至上主義的な考えで生きてきたけど。実は、役に立つってことでは、芸術も科学も似通っているのだとしたら。。。
芸術も社会を構成するひとつの要素なのだ。
資本主義社会では、芸術は、お金を儲ける手段なのだが、趣味の芸術は、お金を消費させるものだ。
経済的には違うけれども、社会の役に立つという意味では同じなのだ。
人を大きく動かすのは感動だろうか?
それとも経済なのだろうか?
まあ、どちらも大切なんだなぁ、と思う。
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最後まで、読んでいただきまして、、、
ありがとうございます😊😃😆