感想:『現代思想の名著30』はじめに〜Ⅰ 現象学・実存主義①フッサール
2021.1.1.
徳村慎
はじめに 「現代思想」とは何か
引用。
「現代思想≒ポストモダン思想」という理解がかなり一般化していた。
「ポストモダン」というのは多義的な言葉だが、哲学史的な文脈に限定すると、デカルトに始まる「自我」あるいは(自我を基盤とする)「主体』を中心に据えた近代哲学の枠組みを解体する、あるいは、それと別の枠組みを探究する、新しい思考の系譜、という意味になるだろう。
……二項対立的な思考とは一線を画する。二項対立思考とは、「精神/物質」「主体/客体」「理性/非理性(感情)」「文明/野蛮」「男性的なもの/女性的なもの」……
構造主義は……従来の哲学に物足りない人にとっては新鮮に見えるが、哲学に加えて、精神分析、文化人類学、言語学、記号学、文芸批評の基礎知識のない人には、何が問題になっているのか分かりにくく難解である。そうした構造主義の戦略を前提に、その不徹底を批判するポスト構造主義はそれに何重にも輪をかけて難解である。
日本で「現代思想」と呼ばれていたのは、構造主義/ポスト構造主義に加えて、これらと微妙な関係にあった「現象学+実存主義」系の思想である。
もう少し広い意味での「現代思想」として、これらの理論を援用する形で、生産から消費へと軸を移し、人々の欲望やライフスタイルを多様化させることで成長を図るようになった、現代資本主義を分析する「ポストモダン」系の社会理論を、これに含めることもある。この領域では、広告、メディア、ポップ・アート、サブカルチャーなど、表象文化全般が分析・評価される。自らそれらの領域で活動する思想家もいた。
90年代に入ると、非マルクス主義的左派の中から、「ポストモダン」系の思想の影響を受けて、脱近代的な方向での社会批判を試みる潮流が生まれてくる。ラディカル・フェミニズム、カルチュラル・スタディーズ、ポストコロニアル・スタディーズなどである。これらまで含めて「現代思想」という言葉が使われるようになった。
引用終わり。
Ⅰ 現象学・実存主義
①フッサール『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』----「生活世界」から捉えなおす
引用。
「精神」自体が数学化できないとなると、自然科学の最終的根拠があやうくなる。
ヒュームは、因果法則は出来事Aの後に出来事Bが続くことが繰り返す内に、両者が「心mind」の内で習慣的に連行するようになったにすぎない、というラディカルな立場を取った。
「生活世界」へと回帰することで、理性がどこに向かって自己実現しようとしているのか明らかにすることこそが、フッサールにとっての「哲学」の使命なのである。
*ラディカル……1.過激なさま、急進的なさま
2.根本的、根源的
引用終わり。。。
人間の内と外。外を理解するには内を攻めなければならない。けれども、内の精神は数値化出来ない。
かなりあやふやな世界だ。
ナノマシンが脳内で働くような未来が来たら、脳内も数値化可能になってくるかもしれないけれど。
因果法則が習慣だとすると、都市伝説や陰謀論がまかり通るのも、頷(うなず)ける。
天国とかあの世は、夢の世界のことを言っているにすぎないのではないか、と思うこともある。
天国では、思えばすぐにその場所に行ける。思えば、何でも手に入る。それは夢の世界と似ている。
これは、たぶん習慣による因果法則だ。
数学化できない精神は哲学で探究するしかない。
つまり哲学の時代はまだまだ続くのだ、ということらしい。
哲学は、すべての学問を取り込んできたと思う。
哲学は、専門家同士をつなぐ知でもあると思う。
最後まで、読んでいただきまして、、、
ありがとうございます😊😃😆
