感想:『まんがでわかる ニーチェ』2020.7.30. | まことアート・夢日記

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夢日記、メタ認知、俳句モドキ、詩、小説、音楽日記、ドローイング、デジタルペイント、コラージュ、写真など。2012.1.6.にブログをはじめる。統合失調症はもう20年ぐらい通院している。


感想:『まんがでわかる ニーチェ』2020.7.30.
徳村慎


たしかに良く分かる本なのだが、、、。

僕は、運命を受け入れてなかったんだなぁ。
ニーチェの言う運命とは、良いことも悪いこともそのまま受け入れるってことらしい。

最後の章を読んで、良かったなぁ、と思った。

現在手に入っていることは、過去の行いでしかない。その通りだ。


それに、美術のS先生とか元カノとかに対する思いというのは、ルサンチマンなのかもしれない。
気をつけよう。。。過去は過去だ。そして、存在した過去を否定してはいけない。。。

あとは、ベストの人間なんていない、ということだろう。自分が悟るためには、知らないということを知る必要がある。

悟る、というと、ちょっと違うか。
ニーチェは超人になる、と表現している。
この本では書いていないが、たしか、ニーチェのツァラトゥストラでは、われわれは超人への過程、と書いてあったが、、、。
しかし、ニーチェの著作群から1冊を選んで読むよりも、こうして1冊にまとまっている漫画を読むことは、良いことだ。

まあ、でも、これも、ニーチェを1冊1冊読みたいという意思が邪魔してたんだろうなぁ。入門者は入門書から読めば良いんだ、と思うようになった。
これも運命。
なるべく原著にあたる、というのは、学者なら必要かもしれないが、僕には必要ないのだ。

フロイト入門なんてあったら読んでみたいなぁ。
エディプスコンプレックスも、父親を超えねばならないこと、とすると、芸術で父を超えねばならない、という足かせだった気もする。
だとすると父親コンプレックスは僕の中に存在する。

僕が今、ここにいるのは、過去の集積であって。すべての過去を受け入れたら、運命なのであって。
元カノが、これまで付き合った彼氏の幸運を願っている、と言っていたけど。そこまで僕は出来ていないので、気にすることなく忘れ去りたいと願っている。

自分がどうなれば一番良いのかは、分からない。
相変わらず、僕は空想癖があって有名な画家になった姿を思い描くし。統合失調症の妄想があるから、過去で信じられるものは無いようなものだ。
元カノに「死ね」とLINEで言った気がするし、それが現実にあったことだとしても、そんな最低な自分も受け入れなきゃ仕方がない。

会わなければ、まだ友達でいられただろうか?
とも思うものの、結局は僕の方が飽きてしまって、疎遠になっているような気もする。
もしも、というのは、考えてはいけない、って『まんがでわかる ニーチェ』に書いてあったなぁ。

オープンチャットで自分よりも知識のある人がすごく多いと分かったし。元国語教師の人もオープンチャットにいるけど、チャット主には知識が敵わないみたいだし。

この『まんがでわかる ニーチェ』は、いろんな問題点を浮き彫りにする。

なぜ仕事をやっているのか?
本気でやりたいと思って仕事をやっているのか?
これは、痛いところをつかれたな、という感じだ。

何年か前みたいに仕事が好きでたまらない、という気持ちは、もう無い。かと言って、嫌いではないのだが。この気持ちは、仕事だけじゃなく、趣味の俳句モドキや音楽にまで広がってしまった。。。

かと言って、何かやりたいことが他にあるわけじゃないし。。。

こうして感想を書いていて、、、まあ、楽しいの半分あるけど、、、半分はこの哲学は、続くんじゃないか?、、、という気持ちだ。

哲学の出口を求めてしまう。
ニーチェの「今ここ」という考えもあるが、非二元になると、「今ここ」すら存在しないらしい。。。
なんだか、仏教の空にも似てるけど。うーん。正確なところは僕にも分からない。

これも、自分の軸がブレてるから、思うわけで、ブレなければ、ニーチェなんて、どうでも良いと思えるのだろうか?

実は、この本(漫画)は、以前にも借りたことがあって。その時から自分の考えが進んだか?、、、と思う。少しは進んだ気もするし、全く進んでいない気もする。

ニーチェは面白い。
考えることが好きな人にはピッタリな本だ。
しかし、考えて答えの出ない今の状態から抜け出せるのだろうか?(笑)


最後まで、読んでいただきまして、、、
ありがとうございます😊😃😆