感想:『ブッダのことば』2020.7.26.
徳村慎
純度の高い仏教だと思う。
信仰を捨てよ、と書かれている。
初期仏教は、信仰ではなかったのだ。
むしろ、幸せとは何か?、、、という哲学であったと思う。
『ブッダのことば』が純度が高い、とすると、『法華経』『般若心経』『歎異抄』などは純度が低いのか?、、、ということになってしまう。
仏教の宗教の部分が純度を低くしているのだ、と思う。
幸せとは、執著(しゅうじゃく)しないこと。
欲が苦しみを生み出す。
元カノの幸せを願う、、、と言ってる時点で元カノという、彼女だった存在を思い出す苦しみなのかもしれない。かといって不幸を願っていても仕方ないので、幸せを願うわけだけど。
まあ、一番良いのは、元カノという存在を思い出さないぐらい自分が幸せになっていることだ。
『ブッダのことば』を読み終えて、ああ、やっとここにたどり着いたんだな、と思った。
仏教の本でオススメは、これまでだったら『般若心経』だったけど、今は『ブッダのことば』だなぁ。
おのおのがブッダになれ。
そう禅では説(と)くらしい。
執著しない生き方は、僕には無理かもしれない。
CDも楽器も本も好きだ。。。
過去の人物やテレビの中のアイドルにもこだわる。
でも、ちょっと自分が無になったら、、、iPhoneでさえ、手放して軽くなったら、、、という究極のミニマリスト、ミニマリストを超(こ)えた、超ミニマリストになる自分の未来を少しだけ想像する。
歌を歌い手を叩く、地面に絵を描く、詩を作る、、、そういうのが出来たら仙人のように生きられるんじゃないか、なんて思う。
そして究極の芸術家である仙人は、芸術でさえ捨てるのかもしれない。
僕にとっては芸術を捨てることは、死を意味する。
那智黒石が出来なくなったら、ということもあるけど、音楽、絵、俳句モドキが出来なくなったら、どうやって生きているのかが想像できないのだ。
たぶん死んだように眠るだけの生活になるんじゃないか?
蜘蛛(くも)が巣を作る。
蜘蛛の巣は狩りのためのものなのだが、芸術のようにも感じる。うーん。食うことは芸術なのか。
蜘蛛のいない巣は、死んでいるから芸術なのか。
蜘蛛は何も考えずに生きているように思える。
本当にそうなのだろうか?
人間だって、もっと大きな存在(神? 天使? 怪物? 宇宙の生命体?)から見れば、何も考えずに生きているように見えるんじゃないのかな?
僕が70歳になったら、蜘蛛のように美しく生きられるだろうか? 仙人のようになれるだろうか?
分からないけれど。
『ブッダのことば』は面白かった。
最後まで、読んでいただきまして、、、
ありがとうございます😊😃😆
