図書館読書日記2019.10.16.
徳村慎
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『嫌われる勇気』を読む。
アドラー心理学の応用出来る範囲は、どこまでなのだろうか?
いつも読むとそれを考える。
仕事のタスク、交友のタスク、愛のタスク。
これら3つが人生のタスク。
赤面症の女性が、赤面症が無ければ私だって恋が出来る、と考える。
僕も同じなのだろうか?
精神病が無ければ、と考える時もある。
しかし、薬を飲まなくしたら、病気が悪化したことがあった。バカだった。
薬をきっちり飲んでいるのに悪化して、死にたい、とか、生きたくない、と考えて落ち込んで、仕事が出来ない時もあるのだ。
しかし、精神病は精神病であるとしても、そこに甘えがあって、精神病が無ければ僕だってもっと幸せな人生が送れている、と考えるのは間違いだろう。世の中にはおそらく精神病でも幸せだったり金持ちだったりする人だって居るのだろうから。
だからといって無理に僕の人生を変える必要があるのかどうかは分からない。というか変えられるのだろうか?……まあ、少なくとも考え方は変えられるかもしれない。ずっと前は、僕は何も知らずに幸せに生きていたのだから。
だとすると外の世界からシャットアウトして、自分のことだけを考える方が幸せじゃないのか?……とも思える。アドラー心理学とは真逆に進むのかもしれない。でもアドラー心理学が教えてくれることを総合すると、僕には外の世界へ開かれたやり方は向いていないように思える。
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なんで死にたいと思ってたんだろう?
目的論(アドラー心理学)からすると、死にたいというのも一種の目的なのかなぁ?
生きていると面倒なことがたくさんあるからだろうか?……仕事の出来ない部分とか。あるいは趣味の出来ない部分かもしれない。ほぼ友人のいない状態とか。
非建設的な心を改善するのがアドラー心理学なのか。
最後まで、読んでいただきまして、、、
ありがとうございます。
(●´ー`●)