ドローイング2019.3.31.
徳村慎
アナ雪の歌が好きだ。
そうよ変わるのよ、私。
なんとも、自由なのか、束縛されてるのか、分からないようなドローイングだなぁ。
自由には違いないけど、怪物の要素が消えて。
どこにでもあるモチーフになっている。
色面を作れば良かったのかも知れない。
ただ、これが悪いのか、と言われると、こんなもんだ、と思う。
現実のモチーフと、空想のモチーフが並べてある状態で、どちらにも傾かずに居るという。夢日記に書く夢の世界とも違って。
西洋哲学と東洋哲学の違いについて、LINEのグルチャで語っていた。西洋と東洋の交わりが、この絵なのか。それとも、陰陽なのか。または、男性性と女性性とか。
絵とは何か、という本を昔読んだ。
ゴッホの模写の方がゴッホらしかった、という話だとか。絵って何だろう?……とは、少し思う。
ちょっと今日の絵はシャガールっぽいなぁ、なんて思う。絵を知れば知るほど、オリジナルとは何なのかが分からなくなる。もっとオリジナリティの高いものを描けば良いのか。オリジナリティとは何なのか?
筆圧が弱くなったとも思う。
ひかかりの無い(つるつるしている)紙に変わったのは、悪影響しているのか。それとも、紙の質よりも自分の筆圧の方が先に消えたのか。
なんだか、アニメーションの世界の方がリアルで、僕のドローイングなんて、リアルじゃないなぁ、と思う。ドローイングの限界だとか、ドローイングの終点だとかが思い浮かぶ。
結局、ドローイングをやるのは、何故なのか。
気持ち良くなるためか。誰かを喜ばせるためか。
誰が喜んでくれるのだろう?
でも、まあ、ブログをたまたま見た人に、少しだけ楽しんでいってもらえたら、それでいいか。
偉大な画家たちの画集をたまには開くとするか。
最近はアウトサイダー・アートの本を眺めるのが好きだ。
最後まで、読んでいただきまして、、、
ありがとうございます。
(●´ー`●)
