ドローイング2019.3.31. | まことアート・夢日記

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まことアート・夢日記、こと徳村慎/とくまこのブログ日記。
夢日記、メタ認知、俳句モドキ、詩、小説、音楽日記、ドローイング、デジタルペイント、コラージュ、写真など。2012.1.6.にブログをはじめる。統合失調症はもう20年ぐらい通院している。


ドローイング2019.3.31.
徳村慎


アナ雪の歌が好きだ。
そうよ変わるのよ、私。

なんとも、自由なのか、束縛されてるのか、分からないようなドローイングだなぁ。

自由には違いないけど、怪物の要素が消えて。
どこにでもあるモチーフになっている。

色面を作れば良かったのかも知れない。

ただ、これが悪いのか、と言われると、こんなもんだ、と思う。

現実のモチーフと、空想のモチーフが並べてある状態で、どちらにも傾かずに居るという。夢日記に書く夢の世界とも違って。

西洋哲学と東洋哲学の違いについて、LINEのグルチャで語っていた。西洋と東洋の交わりが、この絵なのか。それとも、陰陽なのか。または、男性性と女性性とか。

絵とは何か、という本を昔読んだ。
ゴッホの模写の方がゴッホらしかった、という話だとか。絵って何だろう?……とは、少し思う。

ちょっと今日の絵はシャガールっぽいなぁ、なんて思う。絵を知れば知るほど、オリジナルとは何なのかが分からなくなる。もっとオリジナリティの高いものを描けば良いのか。オリジナリティとは何なのか?

筆圧が弱くなったとも思う。
ひかかりの無い(つるつるしている)紙に変わったのは、悪影響しているのか。それとも、紙の質よりも自分の筆圧の方が先に消えたのか。

なんだか、アニメーションの世界の方がリアルで、僕のドローイングなんて、リアルじゃないなぁ、と思う。ドローイングの限界だとか、ドローイングの終点だとかが思い浮かぶ。

結局、ドローイングをやるのは、何故なのか。
気持ち良くなるためか。誰かを喜ばせるためか。

誰が喜んでくれるのだろう?
でも、まあ、ブログをたまたま見た人に、少しだけ楽しんでいってもらえたら、それでいいか。

偉大な画家たちの画集をたまには開くとするか。
最近はアウトサイダー・アートの本を眺めるのが好きだ。


最後まで、読んでいただきまして、、、
ありがとうございます。
(●´ー`●)