夢日記2018.11.28.
徳村慎
1
駄菓子屋の前を通ってアーケードの外に出る。
映画館入り口に入らずに電卓を改札の出口のようなところに返す。エスカレーターか階段になっている。ここでは、男性Kくんたちと一緒だったが、ここで別れる。都会のイメージ。
以前も夢に見た場所。
男性Mちゃんと訪れる。
坂道(階段かも知れない)を登ると、右に寺院のようなものがある。仏教彫刻が置いてあるらしい。
左奥には修行する山。寺院を出てからでも行ける距離。一瞬、左に階段を登ろうとして、Mちゃんが右にある、と教えてくれる。前に来たことあるやん、と。修学旅行で来たらしい。
寺院の前のカーブで男性2人組Aちゃん、Hが居る。お金を拾ったらしい。土下座している男性。1割を取られると大変なことになるらしい。
2
円(まどか)ひろしがライブをやっている。(ジャズ)ベースプレイヤーらしい。ベースをタッピングで弾いて隣の人がiPadみたいなのの、かなり大きいものを使っていて、楽器を入れ替えたりしている。iPadからトランペットの音とかがする。
あとはアコースティックベースの胴が大きいものも使うらしい。
M(男子)と見ていたライブ。いつのまにかライブは動画再生みたいになっていて、ヘッドフォンを脱いだところで、iPadからリズム音が出て来る。
ライブは、たまたまデュオだが、人数は6人ぐらい居る。
**解釈
学校(図書館)の次に夢に出て来る確率の高いのが寺だ。那智黒石の工房と石山と寺が1つの山で繋がってるなんてこともある。
駄菓子屋と映画館のあるショッピングモールは、都会の象徴だろう。都会と寺が繋がっている不思議な場所。仏教彫刻かぁ。ゆっくり眺めていたいなぁ。
寺でお金を拾うってなんだかなぁ。
円ひろしのライブが最新機器ってのが中々面白い。円ひろしは関西系のTVで見たから、その影響だろう。
いつのまにかライブは動画再生になっている、という。なんか、グーニーズのテーマがTVから流れるというのに似ている。
円ひろしともう1人のデュオでライブをやっていたが、6人が色んな組み合わせのデュオをやったということらしい。
空想で良く、最近、思うライブがある。ピアノで大きな賞をもらったという空想の僕は、次に教えることになる、というもの。楽器店に隣接する部屋で教えている。色んな楽器を教えている。
手の不自由な女の子にエレキ・ベースを足の親指でタッピングするように手本を見せて教える。
ピアノが出来る子と、手の不自由なベースの子と、僕がリズムマシン(volca Bass , Beats)やドラムでトリオのバンドを組む。
そしてそのバンドが有名になり、全国ツアーをする。
……という空想なのだが、そんな空想ばっかりしてるから、音楽をやってる夢を見るのだろう。
あと空想の話を続けると、ピアノでクラシックの曲をやる1曲め、ガジェット楽器でアンビエントをやる2曲め、などとライブの空想をする時もある。
あと空想は、錬金術師のように物質を変える力があって、身体の中に四次元空間を作って物を入れておける、とか。し尿からダイヤモンドを作る空想をしていて、そこから、小説を書いたりもした。
あとは、空想で、ピアノの調律も自分で出来るように資格を取る、とか。
こういった空想は夢の世界に影響を与えているのだと思う。ひょっとしたら逆に夢の世界から空想するのに無意識的な影響があるのかも知れないけど。
さて、寺院の意味だが。
修行の場なのかも知れない。
だから那智黒石の工房と繋がっていたりするのではないか?
修行かぁ。前回の夢日記の解釈で、AIとロボットが芸術でさえも支配してしまうんじゃないか、と書いた。今でもそう思っている。
しかし、修行かぁ。人間のみが達することの出来る領域の話になる。それでも、プログラミングが進めば、AIやロボットが修行した人間のように彫刻するようになる気がする。
そして、オリジナルを生み出すようになるだろう。
でも、人間のみが達することの出来る領域は、あるのか、それとも無いのか?
たぶん気持ち自体が、AIには無いから。趣味をやって気持ち良いとAIは感じてないから。そこだけの違いかも知れない。
すると職業芸術家は全てAIになって、趣味は人間がやるようになるのだろうか?
寺は修行の場だが、哲学の場でもある。
お前の哲学は完成していないぞ、と夢が訴えているのかも知れない。
『哲学の本』というものを何ヶ月かかかって読んだ。しかし、そこで得られた哲学は、より深いものに変えねばならないと思っている。
欠けた存在である(不知の知)僕らは、どのように哲学を深めるべきなのか?
夢で音楽をやっているのも、現実に音楽を上手くやれてないからじゃないか、とも思える。(願望充足)
都会のイメージだって、自分が都会に生きられないことを示しているようにも思えるし。
都会は旅人が訪れる場所なのだ。
だとすると、寺院も旅の場なのか。
哲学も通り過ぎる場なのだよ、と教えているのかも知れない。憂鬱になるのなら、哲学しなくても良いんだよ、と。
全ては決まっている、という運命論的な考え方を最近読んで、そうかもなぁ、と思った。
全ては決まっているから、間違いじゃないんだよ、ということか。そもそも間違いなんてものは、無いんだ。それを深く考えると、空だなぁ。(色即是空)
でも、空から外を見ると空即是色なのか。
いや、こんな問答に意味は無い。生きやすく生きれば良いだけの話で。
飴を食べて美味しい、水で喉を潤して気持ち良い、放尿して気分が良い、などの感覚の連続が自分なのか。
では自分の感覚は連続してないバラバラの自分で考えると自分というものが分解されて、そこに自分は無いのだ。しかし、自分というものは、有るだろうと。そう考えてしまう。だけど、有ると思うものが無くて。無いと思うものが有るのだ。
だとすると、空とは、真実の姿なのか。
などと考えたが、たかが夢は夢じゃないか、とも思う。
徳村慎
1
駄菓子屋の前を通ってアーケードの外に出る。
映画館入り口に入らずに電卓を改札の出口のようなところに返す。エスカレーターか階段になっている。ここでは、男性Kくんたちと一緒だったが、ここで別れる。都会のイメージ。
以前も夢に見た場所。
男性Mちゃんと訪れる。
坂道(階段かも知れない)を登ると、右に寺院のようなものがある。仏教彫刻が置いてあるらしい。
左奥には修行する山。寺院を出てからでも行ける距離。一瞬、左に階段を登ろうとして、Mちゃんが右にある、と教えてくれる。前に来たことあるやん、と。修学旅行で来たらしい。
寺院の前のカーブで男性2人組Aちゃん、Hが居る。お金を拾ったらしい。土下座している男性。1割を取られると大変なことになるらしい。
2
円(まどか)ひろしがライブをやっている。(ジャズ)ベースプレイヤーらしい。ベースをタッピングで弾いて隣の人がiPadみたいなのの、かなり大きいものを使っていて、楽器を入れ替えたりしている。iPadからトランペットの音とかがする。
あとはアコースティックベースの胴が大きいものも使うらしい。
M(男子)と見ていたライブ。いつのまにかライブは動画再生みたいになっていて、ヘッドフォンを脱いだところで、iPadからリズム音が出て来る。
ライブは、たまたまデュオだが、人数は6人ぐらい居る。
**解釈
学校(図書館)の次に夢に出て来る確率の高いのが寺だ。那智黒石の工房と石山と寺が1つの山で繋がってるなんてこともある。
駄菓子屋と映画館のあるショッピングモールは、都会の象徴だろう。都会と寺が繋がっている不思議な場所。仏教彫刻かぁ。ゆっくり眺めていたいなぁ。
寺でお金を拾うってなんだかなぁ。
円ひろしのライブが最新機器ってのが中々面白い。円ひろしは関西系のTVで見たから、その影響だろう。
いつのまにかライブは動画再生になっている、という。なんか、グーニーズのテーマがTVから流れるというのに似ている。
円ひろしともう1人のデュオでライブをやっていたが、6人が色んな組み合わせのデュオをやったということらしい。
空想で良く、最近、思うライブがある。ピアノで大きな賞をもらったという空想の僕は、次に教えることになる、というもの。楽器店に隣接する部屋で教えている。色んな楽器を教えている。
手の不自由な女の子にエレキ・ベースを足の親指でタッピングするように手本を見せて教える。
ピアノが出来る子と、手の不自由なベースの子と、僕がリズムマシン(volca Bass , Beats)やドラムでトリオのバンドを組む。
そしてそのバンドが有名になり、全国ツアーをする。
……という空想なのだが、そんな空想ばっかりしてるから、音楽をやってる夢を見るのだろう。
あと空想の話を続けると、ピアノでクラシックの曲をやる1曲め、ガジェット楽器でアンビエントをやる2曲め、などとライブの空想をする時もある。
あと空想は、錬金術師のように物質を変える力があって、身体の中に四次元空間を作って物を入れておける、とか。し尿からダイヤモンドを作る空想をしていて、そこから、小説を書いたりもした。
あとは、空想で、ピアノの調律も自分で出来るように資格を取る、とか。
こういった空想は夢の世界に影響を与えているのだと思う。ひょっとしたら逆に夢の世界から空想するのに無意識的な影響があるのかも知れないけど。
さて、寺院の意味だが。
修行の場なのかも知れない。
だから那智黒石の工房と繋がっていたりするのではないか?
修行かぁ。前回の夢日記の解釈で、AIとロボットが芸術でさえも支配してしまうんじゃないか、と書いた。今でもそう思っている。
しかし、修行かぁ。人間のみが達することの出来る領域の話になる。それでも、プログラミングが進めば、AIやロボットが修行した人間のように彫刻するようになる気がする。
そして、オリジナルを生み出すようになるだろう。
でも、人間のみが達することの出来る領域は、あるのか、それとも無いのか?
たぶん気持ち自体が、AIには無いから。趣味をやって気持ち良いとAIは感じてないから。そこだけの違いかも知れない。
すると職業芸術家は全てAIになって、趣味は人間がやるようになるのだろうか?
寺は修行の場だが、哲学の場でもある。
お前の哲学は完成していないぞ、と夢が訴えているのかも知れない。
『哲学の本』というものを何ヶ月かかかって読んだ。しかし、そこで得られた哲学は、より深いものに変えねばならないと思っている。
欠けた存在である(不知の知)僕らは、どのように哲学を深めるべきなのか?
夢で音楽をやっているのも、現実に音楽を上手くやれてないからじゃないか、とも思える。(願望充足)
都会のイメージだって、自分が都会に生きられないことを示しているようにも思えるし。
都会は旅人が訪れる場所なのだ。
だとすると、寺院も旅の場なのか。
哲学も通り過ぎる場なのだよ、と教えているのかも知れない。憂鬱になるのなら、哲学しなくても良いんだよ、と。
全ては決まっている、という運命論的な考え方を最近読んで、そうかもなぁ、と思った。
全ては決まっているから、間違いじゃないんだよ、ということか。そもそも間違いなんてものは、無いんだ。それを深く考えると、空だなぁ。(色即是空)
でも、空から外を見ると空即是色なのか。
いや、こんな問答に意味は無い。生きやすく生きれば良いだけの話で。
飴を食べて美味しい、水で喉を潤して気持ち良い、放尿して気分が良い、などの感覚の連続が自分なのか。
では自分の感覚は連続してないバラバラの自分で考えると自分というものが分解されて、そこに自分は無いのだ。しかし、自分というものは、有るだろうと。そう考えてしまう。だけど、有ると思うものが無くて。無いと思うものが有るのだ。
だとすると、空とは、真実の姿なのか。
などと考えたが、たかが夢は夢じゃないか、とも思う。
最後まで読んでいただきまして、
ありがとうございます。
(*゚ェ゚*)