徳村慎
これは目からウロコの連続だったなぁ。
哲学の歴史や、哲学のテーマの数々。哲学の古今東西だよね。
目次を、読み返すと、特に面白かったのは、PART4西洋の哲学、近代後期から現代。
PART5東洋の思想と哲学。
PART8生きることと死ぬことの哲学
PART9現代を生きる私たちの哲学、の中の「未来への視座」とか。
結局、ニーチェ以降の哲学と、東洋の哲学、特に仏教哲学とか、あと鬱で苦しんだ時に考えた、生きるって何?ってこととか。
それらの答えが書いてあるわけじゃない。
それらの問題提起と考え方が書かれていて、すごく勉強になった。
では、ニーチェから抜粋する。
☆神なき世界の危機を見抜いたニーチェ
無神論の影響は人々に計り知れない影響を及ぼすことになりました。神の否定は、根源的な価値の否定にほかならず、私たちが生きる意義そのものの否定につながるからです。虚無(ニヒリズム)がしのびより、絶望や退廃が世界を覆っていきました。
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人間の本来もつ生き生きとしたあり方を模索したのが世紀末の思想家ニーチェでした。「神は死んだ」
☆ブッダをも超える禅宗の悟り
禅は大乗仏教の「ブッダに帰れ」という指向をさらに進め「おのおのがブッダになれ」という意気込みがある。
ブッダ自身は、誰かの教えに従って悟りを得たのではなく、まさに自分で悟った。
禅宗の書物は語録や公安集という形で伝わっている。ただし、それを読めば禅が分かるというわけではない。禅はあくまで自ら体得するもの。
☆生きることは同じような日々の繰り返しなのだろうか
反復に含まれる差異が、未来を絶対的に新しいものにする。
ある可能性が現実化するのではない。
1つの潜在性が、さまざまな差異をもったものへ分化(顕在化)する。
☆自由に生きることの裏側にある不安
不安は恐怖とは違う。恐怖の場合は恐れる対象があるが不安にはそれがない。つまり不安の対象は無。自由を与えられた人間が「できることの無限の可能性」に直面したとき、不安が彼を襲う。
さらに、何でもできる(してよい)ということは、価値の基準がないことにつながる。私たちが一生をかけて行うこと、あるいは私たちの生そのもの、そこにどのような価値があるのか。
冷静に考えれば、自分が死んでも客観的世界に何の影響もないのは明らか。他ならぬ「私」が生きていることに何の意味があるのか。
キルケゴールは信仰だけが克服できると説いた。
自分自身に対して真剣になること。どんなに悲惨なことも起きうるという可能性を心の底から理解すること。
☆どうすれば幸福に生きることができるのか
「人生の目的とは何か」
それは幸福になることである。
幸福は、裕福であることや評判が高いこと、あるいは自分の好きに生きることではない。ソクラテスにとって幸福とは魂を優れたものにすること、つまり徳を身に付けること。
徳を備えるとはどのような人間になるか。自分の人生の終極目標を真剣に考えるとき、こうした問いを避けることはできない。
☆現代社会で働くことに潜む危機を暴く
労働力を売ることは、働く人が自ら作り出した生産物から切り離される。自分で考えた物を自分なりのやり方で作るときのように作品に誇りを持つことは出来ない。むしろ自分の仕事によそよそしさを感じることになる。
☆自分の力と可能性を発揮することが労働の喜びにつながる
肉体的な力、知的能力、創意工夫、そういった形で自分の力を発揮することを模索すべき。
幸福な労働には、良好な人間関係と他人からの正当な評価も必要。
☆人生は短く、いつも時間がないのが人間の定めなのか
ストア派セネカ
「われわれは短い人生を受けているのではなく、われわれがそれを短くしている」
「他人の運命のために努力しているから」
やりたいことをやるのは定年後、と割り切っている人もいる。しかし、「君は長生きするという保証でも得ているのか」とセネカは批判する。
などなど。まだまだ紹介したい項目は、あるけど、これぐらいにしておく。(笑)
感想を書くのは久しぶりだなぁ。
『哲学の本』は、かなり面白かった。
僕にとっては、ブログを書くのが生きがいなんだろう。だから、書き続けようと思う。
感想で紹介したい漫画もあることだし。
前の感想は『太陽の法』で感動してたけど。僕は信者じゃないし。今は、『太陽の法』は何が面白かったんだろう?……と疑問に思ったりする。(笑)
人生の困難を乗り越えるための書物として、『哲学の本』を読んでみてはいかがだろうか?
と、過去の僕に言ってみたりする。
最後まで読んでいただきまして、
ありがとうございます。
(≧з≦)
