夢日記2018.11.13. | まことアート・夢日記

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まことアート・夢日記、こと徳村慎/とくまこのブログ日記。
夢日記、メタ認知、俳句モドキ、詩、小説、音楽日記、ドローイング、デジタルペイント、コラージュ、写真など。2012.1.6.にブログをはじめる。統合失調症はもう20年ぐらい通院している。

夢日記2018.11.13.
徳村慎


グルチャの夢、音楽の大学(図書館)の夢などを見る。先輩がスッポン(便器に当てて詰まりを掃除する道具)を欲しいと言う過去の夢。


**解釈

ネットで見る図書館の夢占い。
図書館…あなたの今後の成長。
学校の図書室の場合…あなたの知識欲、知的好奇心が高まっている。
図書館で本を探している…あなたが懸命に努力している。

図書館の夢は見ることが多い。学校とつながってたり、いつのまにか本屋になってたり。図書館や本屋は、僕にとっては学校の延長なのだろう。

本(知識)は、僕の人生で重要なものなのだと思う。孤独の中で本に向き合うしかなかったのが普通だったから、孤独には慣れてしまった気がする。出会わないようにすれば別れも無い。まあ、それは寂しいことだけど、縁で、どうしても出会うこともあるだろうし。幼稚園の頃から図鑑ばかり読んで、絵を描いて。そんな幼少期を過ごすと、人とのコミュニケーションが煩わしいのかも知れない。環境とも言えるだろうけれど、孤独は生まれ持っての性格なのだと思う。

そんな僕がグルチャ(グループチャット)をLINEでやり始めた。グルチャの夢も最近は見るようになったのだ。言葉だけの関係だから、深くなくて良い。いや、むしろ言葉だけの関係だから、深いとも言えるのだろうけれど。難しいなぁ。今のところ、僕はグルチャで深い話はしていない。深くないのならやめても良いのだとも思う。最近はグルチャに時間が取られる。皆んな寂しいのかも知れない。

知識は、独りで本を読んだ方が確実に身につく。特に哲学(西洋哲学と東洋・仏教哲学)の知識は、とにかく読んで考えることが大事なのだ。そして実践に移れればなお良い。

これは、図書館読書日記とも被るんだけど、実践というか、仏教哲学は実感なんだなぁ。アニミズムが強く感じられるようになった頃に、アニミズム=仏なんだなぁ、と。それで草木国土悉皆成仏(そうもくこくどしっかいじょうぶつ)ってのは分かる。くさも、きも、こくども、みな、ことごとく、ほとけと、なる。

でも最近は無常仏性というのが気に入っていて。
仏性が有るから無いへと移ろい変わる。あるいは無いから有るへと移ろい変わる。まさしく色即是空空即是色なんだけど。仏性というのも無常だとするなら、悟りというのも無常なんだよねぇ。

良いと思ってたものが悪くなったり、悪いと思ってたものが良かったり。

そうそう。トイレのスッポンが欲しいって言ったのは、大学の先輩で合唱部の部長さんなんだよ。(笑)
今でも元気にしてるかなぁ?
出身が福島って言ってた気がするけど。津波とか地震とか大丈夫だったのかなぁ?
大学は中退してから、連絡取ってないから、生きてるかどうかとか分からないなぁ。

過去をそのまま夢に見るのって、どうなんだろう?
でも、今見るってことには、何らかの意味があるように感じる。

あの部長(女性)は、お酒飲むと絡むから、どうにもこうにも、扱いにくかったなぁ。普段は良い人なんだけど。こうと決めたらこう、って性格だったなぁ。うらやましいけど。
スッポンが欲しいって、言われた時は、困ったなぁ。僕がデジタルシンセRoland XP-10買った時も交換しよう、とか言ってきたし。まあ、大学生ってセコい人が多かったからなぁ。

ああ、最初に就職した時の課長代理Kさんも、ゲームを貸せとか言ってきたよなぁ。兄のゲームだから貸せない、って断ったけど。ああいうのパワハラっていうんだよなぁ。

元カノが(元カノの)先輩からKaossilator2を借りてるって聞いた時は、僕なら楽器は貸さんけどな、パワハラか?……ってLINE送ったら当時は怒られたなぁ。(笑)
僕の場合、誰に対してでも楽器は貸したくないんだよねぇ。貸せる楽器なんてあるんだったら、その楽器は何のために買ったんだろう?……とか考えてしまう。最近は楽器を売って後悔してるから、余計に思う。

人のものを欲しがるのとかが許せないのかも知れない。僕はケチなのだ。

グルチャでもっと深く交われないのは、単にケチなのだろう。いや、そうか?(笑)
そこまでケチなんだったら、こんなに時間かけてグルチャやってないと思う。でも、けっこう、趣味の時間を削ってグルチャやっちゃったから、これからは、グルチャの時間を減らす方向に行くだろうってことも分かっている。

音楽の大学かぁ。まあ、芸術大学だったからなぁ。音楽学部もあったけど。でも、全てをものにするのには時間がかかるものだ。マルチ・アーティストに憧れてた。今でもちょっと憧れる。けれども、今は、少しマルチ・アーティストからは離れて来た。広くなると浅くなる。浅く広く。深くしようと思うと狭くなる。僕は、狭く浅い気がしてきた。核になる部分が無いように思える。

といっても、悲観しているのではない。
この前見た、坂本龍一のドキュメンタリー映画codaで、asyncの作り方が面白かった。フィールドレコーディングで録音した音を素材として使ったり、楽器に触れる音を使ったり。エレキギターも使っていた。そしてプリペアドピアノ。
純粋にああいうのがやりたいのだ、と思う。

大学は通過点であって。今、勉強してることが、本物の大学というか。本物の学びに近くなってきたのだと思う。

図書館の夢は、ドキュメンタリーからの学びなのかも知れない。ダウン症の書家、金澤翔子さんとか、発達障害のピアニスト野田あすかさんとか。その他のいろんな障害を抱えた芸術家や、障害を持たない芸術家。

ああ、ピアノが上手くなりたいなぁ。自分なりにイメージ通りに弾けるようになりたい。


最後まで、読んでいただきまして、
ありがとうございます。
(≧з≦)