徳村慎
借り直した本
『面白いほどよくわかる! 哲学の本』
新たに借りた本
『インド哲学10講』
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なぜインド哲学を借りたか。
それは、人間関係って複雑だな、と感じたからだ。LINEのグルチャが閉鎖されてしまった。気に入ってた場所なので少しショックだ。
そんな気持ちで『正法眼蔵入門』をパラパラめくると、「無仏性」「無常仏性」といった言葉に行き当たる。縁起がつまりは人間関係なのだ。これまでのアニミズム的な視点で「悉皆成仏」と感じていた僕は人間関係では「無常仏性」を強く感じた。
縁起が「色即是空、空即是色」であるならば、グルチャの閉鎖もやむを得ないものか、とも思い、縁起の考え方の基本が知りたくなって『インド哲学10講』に手が伸びたのだ。
今、『哲学の本』では、社会のあり方を考察する、というところを読んでいる。まさしく、グルチャ=社会になるのかな?……ただしグルチャは閉じられた世界なので、社会のごく一部であるかも知れない。閉じられた社会というのを考えると絶対王制のような社会がイメージ出来る。王が優秀であるか否か。王を支えたり、王を裏切り新たな国を打ち立てたり。乗っ取り、引き抜き。さまざまなことが進んでいく。僕は、それでも、また機会があればグルチャをやりたいな、と思っていたりする。
「一切衆生有仏性」よりも「一切衆生無仏性」の方が、適切な表現だ、と道元は考えた。それは、単なる唯物論的な展開ではなく、仏性にこだわりすぎるなよ、という意味を含んだ視点なのだろう。つまりは「無常仏性」であり、「有仏性」から「無仏性」へと至る過程こそが「無常仏性」とも受け取れるのだ。
最後まで読んでいただきまして、
ありがとうございます。
(^-^)
