夢日記〜新聞紙
徳村慎
納品した物を包んだ新聞紙が汚れていると報告が入る。
納品した物を包んだ新聞紙が汚れていると報告が入る。
**解釈
実際にあった話なのだが、これを見るということは、自分の心が汚れているということか?
自分の心が汚れていると認識している気がする。
無力な自分が居るのか。それとも無力だと認識しているだけか。
自分のことをあまり綺麗だとは言えないように思う。つまりは、心の汚れた大人なのだな、と。
身も心も汚れてしまったのか。
ただ、汚れていると認識することは悪いことではないのかも知れない。自戒の念が起きるからだ。
それに他力本願にも通じる。
他力本願かぁ。歎異抄だよなぁ。五木寛之訳の本を持っている。悪人は悪人だと認識して仏の力にすがるから、救われるのだ、と。
ただ、最近見たブログでは、ユーモアを持って話しているんだ、という説があって。そこは笑うべきところなのかも知れない。難しいものだ。
僕は、救われようとする他力本願が足りない気がするなぁ。救われようとしてるんだけど、決して救われない。でも、なんか1つの解答というか、浮かびそうなんだよなぁ。
仏と僕とが一体とまではいかなくとも、共存しているような。そういう気持ち。米津玄師のLemonに「今でもあなたは私の光」という歌詞があるけれど。あんな感じだけど、もっと仏よりの解答というか。うーん。浮かびそう。
浮かびそう、浮かびそう、なんて言って1年ぐらい経ったりして。(笑)
最後まで読んでいただきまして、
ありがとうございます。
(^。^)