夢日記〜歌 | まことアート・夢日記

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まことアート・夢日記、こと徳村慎/とくまこのブログ日記。
夢日記、メタ認知、俳句モドキ、詩、小説、音楽日記、ドローイング、デジタルペイント、コラージュ、写真など。2012.1.6.にブログをはじめる。統合失調症はもう20年ぐらい通院している。

夢日記〜歌
徳村慎


「自分のことを見失い人のことを抱きしめてた」という歌詞の歌を歌っている。この歌を忘れないようにボイスレコーダーに録音しようとしても見つからず。楽譜に書こうとしたところで、目が覚めた。(2段ベッドの上で楽譜に書こうとしていた。)


**解釈

2段ベッドのような、あるいはロフトベッドのようなものは、大学の時以来、使っていない。だから、あれは大学の時にこんな感じだったら良かったのにな、という夢なのではないか。

あるいは、パラレルワールドの自分は、今でもロフトベッドを使っているのかも知れない。

それにしても、「自分のことを見失い人(他人)のことを抱きしめてた」という歌詞。自分よりも他人が大切だ、という生き方は僕には出来ないと思ってた。けど、今は、どうなのかなぁ?
自分のことを大切にしていない気がする。まあ、大切にし過ぎると進まないのかも知れず、今のやり方で一歩ずつ生きていくしかない。

しかし、他人のことは大切にしてるだろうか?
うーむ。自分でない人を他人と呼ぶなら、他人のことを抱きしめてた、ってことは、自分でない何者かになりたい、ってことかなぁ?
職を見失ってるのかなぁ?

ボイスレコーダーが無ければ、楽譜に書く。機械が無ければペンと紙で、それも無ければ記憶に残すしかない。でも、記憶の方が美しかったりするから、音楽は美しいのだ。アドリブが美しいのだ。消えるから美しいのだ。花火だって消えるから美しいのだ。夢の中の音楽は半分消えてるから、とても美しい。夢の中の芸術はとても美しい。

その夢を記録している、夢日記なんてものが、本当に美しいのか、分からない。けど、最近、思うのだ。夢日記って芸術なんじゃないか、って。無意識の生み出した芸術。シュールレアリスムは、無意識を意識して作っている、という意見がある。しかし、夢の風景のような感覚は良く出来ているのだ。それに比べて、僕の夢日記には夢らしい美しさが、まだまだ描けていない。

寝起きで、夢の記録をとっているだけで、夢の世界を100%再現するまでには至っていない。
言葉の限界があるのだ。

今考えると歌はGAOの「サヨナラ」に似てる気がする。


最後まで
読んでいただきまして、
ありがとうございます。
ヽ(≧▽≦)ノ